高齢者はなぜ「運転免許」を返したがらないのか、家族や周囲はどう説得すべき?
東京・池袋で起きた暴走事故など、高齢ドライバーによる交通事故が相次いでいます。運転にこだわる高齢者をどう説得すればよいのでしょうか。

4月19日午後、東京・池袋で高齢男性が運転する乗用車が暴走し、自転車に乗っていた母娘が死亡、10人が負傷する事故がありました。報道によると、運転していた高齢男性は脚が悪く、つえをついて歩いており、周囲に「車の運転をやめる」と話していたといいます。
近年、高齢ドライバーによる交通事故が相次いでおり、ネット上では「高齢ドライバーは自ら進んで免許を返納すべき」との声が高まっていますが、その一方で「私の祖父は、家族で説得しても返納してくれない」「本人が『まだ運転できる』と言って聞かない」「どう話せば運転をやめてくれるのか」など、免許返納の説得に頭を抱える声も多く上がっています。
高齢ドライバーとその家族には、どのような意識と行動が求められるのでしょうか。高齢社会の問題に詳しい、NPO法人「老いの工学研究所」理事長・一般社団法人「人と組織の活性化研究会」世話人の川口雅裕さんに聞きました。
喪失感を受け入れられない
Q.今回の事故のように、公共交通機関の利便性が高い都市部、つまり車の運転の必要性が低い地域で、なぜ免許を返納せずに車の運転を続ける高齢者がいるのでしょうか。
川口さん「高齢者を考えるときのキーワードの一つは『喪失』です。誰でも年を取るにつれ、子どもの独立(子どもが近くにいなくなる)、親の死、職業(職場)がなくなる、友人・知人の転居や死、配偶者の死などを経験します。加えて、身体的な衰えにより、それまで普通にできていたことができなくなってきますし、容姿や外見も衰えてくるものです。高齢期には、このようなさまざまな“喪失”をどう受け入れるか、どう乗り越えるかが課題になります。
この課題をクリアできる高齢者と、そうでない高齢者がいます。『喪失を受け入れ、乗り越えられる人』もいれば、『喪失を受け入れず、現実に抗(あらが)い続ける人』がいるわけです。私たち『老いの工学研究所』では、前者を『向齢者』、後者を『抗齢者』と呼んでいます。
免許の返納、すなわち『運転できない人になる』ことは、これまでできていたことができなくなるという意味で、喪失の一種です。さまざまな喪失をなかなか受け入れられない『抗齢者』にとって、免許の返納も耐え難いことなのかもしれません。そのため、家族に『免許を返納したら?』と言われても、やはり抗ってしまうのではないでしょうか」
Q.高齢ドライバーの運転を止められずに悩む家族が多いようですが、これについてどのように思われますか。
川口さん「車というのは、単なる移動手段ではありません。今の高齢世代が若い頃、マイカーは憧れの存在でしたし、苦労してお金をためて手に入れるものだったはずです。今でも、高級車に乗りたがる人が多いように、車は自分の経済力や社会的地位、あるいは自分の趣味嗜好・パーソナリティーを表現してくれる存在、という面もあります。
私自身にはそうした趣味はありませんが、まるで自分の分身のように車をかわいがる人も少なくありません。そのような人にとって、免許返納は、単に移動手段を失うというよりも、自分の存在価値やアイデンティティーを失うような感覚があるでしょう。
免許返納が『運転できない人になってしまう』という喪失に加えて自らのアイデンティティーの喪失でもあるのなら、家族が説得しても運転をやめさせるのはなかなか難しいですし、ひどい喪失を経験したくないという意味で『まだ運転できる』と言い張るのも分かる気がします」
とにもかくにも「(ある)高齢者が対人事故を起こした。」という事実から、脊椎反射的に「(すべての)高齢者は対人事故を起こす。ゆえに運転を禁ずべし。」との結論を導出するほうが、高齢者の対人事故よりも危険なのである。