離婚は「人生の失敗」? 「新たな出発」? 共に経験した母と娘の「離婚観ギャップ」
昨今、離婚に対してポジティブな捉え方をする人が増えている印象ですが、そこには少なからず世代間ギャップもあるようです。離婚を経験した母と娘の実例から、「離婚観」を考えます。

離婚に関して、特に最近は報告する側もされる側も、反応が変わってきたと感じます。以前は、神妙な面持ちで申し訳なさそうに離婚を報告する人が多かったと思いますし、報告を受ける側も、どう反応したらよいのか戸惑ったり、過剰に心配したり、同情したり…とあたふたしていた印象があります。
昨今、離婚報告をする人たちの顔には、多くの場合、“スッキリ感”が感じられ、受け止める側の反応も軽やかな気がします。もちろん世代間ギャップもあるでしょう。今回は、共に離婚を経験した母と娘の「離婚観ギャップ」についてご紹介します。
20年前の離婚を引きずる60代女性
悠子さん(65歳、仮名)は20年前、45歳で離婚しました。理由は夫の暴力と浮気です。現代であれば、「その理由なら離婚が当たり前!」という見方が多いでしょうが、20年前の日本には、「家庭内のゴタゴタは恥ずかしいことだから、誰にも言わずに耐える」という妻たちが少なからずいました。専業主婦の割合も高く、離婚すると経済的に困窮するケースも多くありました。
悠子さんは離婚を決意し、10歳の璃子(りこ)さん(仮名)を連れて実家に帰りました。当時、実家には両親が健在で、家に戻った悠子さんを父親は温かく迎えてくれましたが、母親は「世間さまに恥ずかしい」と拒絶しました。「大変なのはどこの家庭も同じ。耐えられずに戻ってきたのは悠子の責任だ」というのです。
悠子さんが離婚届を書くと、母親はそれを隠したり捨てたりして、夫に渡せないようにしました。その間も毎日のように、夫から実家に電話がかかってきて、悠子さんたちに「戻ってきてほしい」と頼みました。ただ、その電話の相手をするのは母親。夫に肩入れして、「離婚するのはやめなさい」と悠子さんを諭します。もともと、娘の夫のことが嫌いな母親だったのに、そうまでして自分を離婚させたくないのかと、悠子さんは絶望します。
そんな悠子さんをサポートしたのが、悠子さんの実弟の剛(つよし)さん(仮名)でした。実家の近くで家庭を築いていた剛さんは母親を説得し、悠子さんの夫と連絡を取り、離婚への道筋を立ててくれたのだそうです。2年かかって離婚した悠子さんは、パートで働き、お金をためて、子どもが巣立ったら“毒母”のいる実家を出ようと頑張りました。
ところが、子どもが巣立った直後、父親が倒れ、寝たきりになってしまいます。長年、父親と母親は仲が悪く、母親は倒れた父親の面倒を一切見ようとしなかったため、悠子さんに父親の介護がのしかかったのです。そして、数年の介護の後に父親を看取ると、今度は認知症になった母親の世話が始まりました。悠子さんは言います。
「私のふがいなさから娘にも迷惑をかけて、父親も心労のために倒れてしまいました。母親の世話をするくらいしか、今の私にできることはありません。わが子だけは、円満な家庭で幸せに暮らしてほしかった」
悠子さんは、家族の不幸は全て、自分の離婚のせいだと思っているようです。
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