「英断」か? 「夢奪う」行為か? 小学生柔道の全国大会廃止、専門家の見解
指導者や保護者の意識変革は?
Q.指導者や保護者の意識を変えることでも、大会の在り方を変えられるように思うのですが、それは難しいのでしょうか。
江頭さん「難しいと思います。柔道に限らず、小学校の全国大会に出るようなアスリートの保護者は、ご自身がその競技で成果を残した人、もしくは指導者であるケースが多いようです。年代的に、強くなるためには体罰もいとわない、暴言は当たり前の環境で育ってきた人が多いと思います。
こういう人たちの中には、子どもに強制的な関わりを求め、『勝利』することを要求する傾向にあるという研究も存在します。『わが子中心主義』と『勝利至上主義』が強く、日常的にも子どもに過剰な練習を強制したり、指導者へ苦情を言ったり。『子どもが強くなるために、力の限り協力しているんだ』という自己陶酔状態にある人がいることも、明らかにされています。
こういう保護者や指導者は、大会時以外でも、子どもに暴言を吐いたり、指導者が体罰を行えないため保護者が子どもをたたいたり、ということがあるようです。
全国大会を廃止すれば、勝利だけを目的にした練習がなくなり、子どもに『敗戦=失敗』という思いをさせることも、なくなります。世界的に見ても、15歳以下の全国大会を実施している国は少なく、日本はレアケースでしょう。
例えば、オーストラリアでは、子どもの頃は、いろいろなスポーツを体験し、自分に合っているものを探す時期としています。また、練習よりもGAME時間を長めに設定しており、レクリエーションとしてのスポーツを大事にしています。GAMEはトーナメントではなくリーグ式にしてあり、『優勝チーム以外は皆、敗戦で終わる』ことを避けています」
Q.全国大会が一つなくなることで、「子どもたちの夢を奪う」との声もネット上にはあります。目標となる大会がなくなることの悪影響は考えられないでしょうか。
江頭さん「大会で『勝負』することだけが『夢』だとは思いません。IT技術を活用すれば、練習試合における動きから、その競技者のパフォーマンスを数値化し、全国ランキングを作ることもできる時代になりました。
柔道の場合、『投げ』『スピード』『返し』『技数』『持ち手』など幾つかの指標に分けて分析し、『昨日の自分』と『今日の自分』の違いを見ることも可能です。
教育ツールとしてのスポーツに求められることの一つに、『昨日の自分は、練習で超えられる』と体験的に学ぶことがあります。本来の教育ツールとして、勝負をせずに鍛錬し、勝利以外の目標で、自分の成長を正確に知ることができる仕組みがあれば、柔道で伸び悩んだ子どもが、テニスを試しにやってみて、成果を出す可能性も、数値で正確に知ることができます。21世紀に合った『夢のカタチ』があるはずです」
Q.「子どもの頃からの強化が、五輪でのメダル獲得につながる」との考え方もあると思います。そういった面は考えられないのでしょうか。
江頭さん「全国大会が廃止になっても、目標がしっかりしていれば、幼少期から強化を始めることは可能です。
確かに、小学生の全国大会で優勝した子どもへのインタビューで、『将来、オリンピックに出て、金メダルを取りたいです』という言葉は定番になっています。しかし、本人のパフォーマンスを正確に知ることができれば、全国大会以外でも自分の成長を知ることはできます。
オリンピック陸上で8つの金メダルを取ったウサイン・ボルトは、15歳まで無名でした。短距離走は、条件をそろえることができれば、いつでも世界記録と自分の記録を比較できます。対戦相手を必要とするスポーツでも、自分のパフォーマンスを数値化し、世界のアスリートと比較できれば、自分の成長が楽しみになり、全国大会が廃止になっても、日本全体の競技力が落ちるような、直接の影響は出ないでしょう」
Q.この動きはほかのスポーツにも波及するでしょうか。
江頭さん「他の競技でも、15歳以下の全国大会は廃止することが望ましいです。その理由は、先ほども述べたように、勝利至上主義が、子どもの意思決定の一部に組み込まれてしまう危険性を回避するためです。スポーツの影響によって、『勝つか、負けるか』ばかりで意思決定をする人間を増やすのは、スポーツへの冒とくにつながります。スポーツはレクリエーションであり、スポーツマンシップを尊重し、楽しく行うべきものです。体罰も、暴言も、スポーツの場から排除すべきものです。
世界の成功事例を参考に、15歳以下の全国大会は廃止すべきです」
(オトナンサー編集部)
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