アイドル、キャラクター… 「推し活」にどハマりする3つの要因
人が推し活に夢中になる要因について、さまざまな社会問題を論じてきた評論家が、社会学者の研究を基に考察します。
近年、ネット上で「推し活」という言葉を聞くようになりました。この言葉は、自分が好きなアイドルやキャラクターなどをさまざまな形で応援する活動を指しており、例えば、関連グッズの購入や配信動画への課金などが挙げられます。ただ、中には、推し活に夢中になるあまり、多額のお金を費やしてしまう人もいるようです。
人が推し活に夢中になるのはなぜなのでしょうか。“推し活ブーム”の背景について、さまざまな社会問題を論じてきた評論家の真鍋厚さんが、社会学者の研究を基に考察します。
「つながり」「祭り」「自己肯定感」がヒント
推し活は日々の生活に活力や癒やしを与えるなどのメリットがある一方、行き過ぎた活動により、推しの対象を神格化し、妄言的な言動を取るといった弊害も指摘されています。ジャニーズ事務所の性加害事件が典型ですが、SNS上でジャニーズファンを自称するアカウントが、事件の被害者に対して、「うそつき」などと、誹謗(ひぼう)中傷のコメントを投稿するケースが確認されています。
人が推し活にハマるのは、主に「つながり」「祭り」「自己肯定感」という3つの理由があると、筆者は考えています。順に説明します。
「つながり」は、疑似恋愛的なものと、同志的なものに区別できます。エンタメ社会学者の中山淳雄は、「推しエコノミー 『仮想一等地』が変えるエンタメの未来」(日経BP)で、以前のように「家族形成=幸せの道」とは思えなくなったことを時代背景に挙げます。
それは性愛、結婚、出産から切り離された「恋愛に近い感覚」であるとし、「しがらみや自分の自我から解放されて、自分の代わりに頑張っている『推し』を応援する」と述べています(前掲書)。
昔は、恋愛は結婚に直結するものというロマンチックイデオロギーが席巻し、出産、子育てというステップが待ち構えていました。しかし、現在、若い人々の間ではそれは実りがあるライフプランには思えません。
そこで、純粋に「恋愛に近い感覚」を味わうというニーズが生じるのです。推し活は、いわばミスマッチやけんかなどのリスクをほとんど負わずに、恋愛対象にのめり込むことを可能にするコストパフォーマンス(コスパ)の良い消費活動なのです。
同志的なものについてですが、推し活をする人は、仲間づくりにより、孤独感を癒やすことに利点を見いだします。かつてであれば、職場や地域といった具体的な場で不特定多数の人々との交流が期待できましたが、現代では文化の変化や経済の低迷によってすっかり退潮してしまいました。
推し活は、「推し」という強い感情を生み出す対象を通じて他者と容易に知り合えます。これは同じ学校や出身地と分かった途端に距離が縮まるのに似ていて、コミュニティー的な関係性を瞬時につくることができます。
このコミュニティー的な側面とも重なる部分が多いのが、2つ目の「祭り」です。「盛り上がれるコンテンツ」をみこしにして、定期的にお祭りに興じることで、気分の高揚と解放感が得られ、心労の多い仕事や学業に耐えることができます。
かつて社会学者のジグムント・バウマンは、このような「偶像」の周辺に現れる集団を「美的コミュニティ」と呼びました。彼は著書で「偶像は小さな奇跡を生む。思いもよらないことを起こす。本物のコミュニティなしに『コミュニティ経験』を生み出す。縛られる不快感なしに、属することの喜びを生み出す」と主張しました(「コミュニティ 安全と自由の戦場」奥井智之訳、ちくま学芸文庫)。
確かに、推し活は、いつでもやめられます。どこかの村社会のように出られないということはありません。そういった不自由さを排しつつ、集団的な熱狂を楽しめる好都合なところがあります。それがバウマンのいう「コミュニティ経験」の本質なのです。
3つ目の「自己肯定感」は、「つながり」や「祭り」といった要素とも密接に関連しています。これは一言でいえば、自由な選択ができる主体として振る舞えるということです。
現代の日本では、やりがいのある仕事以外で個人として活躍できる役割や場が少なくなっています。活躍とは、自発的な行動によって達成感や満足を得られることを指しています。
推し活における主導権は、基本的にユーザーの側にあります。「推し」の掛け持ちに制限はなく、応援の仕方は自由です。自分が「推し」を見つけたり、選んだりするのは自律的な行為であり、それによって幸福度が増せば、自己肯定感も高まります。
これは、普段の社会生活が味気ないと思っている人ほど、推し活が幸福度と自己肯定感の向上にプラスに働くことを示唆しています。
幸福感と自己決定に関する実証研究で、幸福感に与える影響力を比較したところ、「健康」「人間関係」に次ぐ要因として、所得や学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えると結論付けたものがあります(※1)。
自己決定は、自由な選択、自発性が鍵になります。実証研究によると、自己決定によって進路を決定した人は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなるため、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられています。
推し活では、先述のように自分だけの「推し」を掘り起こし、自分なりに応援する自発性があると同時に、「推し」あるいはその周辺にいる仲間たちを人生の同伴者とするライフスタイルでもあります。これが自己決定になっています。
つまり、ここから自己決定の感覚が「推し活」を促進する一因になっていると推測することができます。「疑似恋愛」も「祭り」もその根底には、対象や熱狂に自発的にのめり込み、そこから充実感や達成感を得るという能動的な快楽が間違いなくあるからです。
マーケティング支援事業を展開するネオマーケティングが行った「推し活に関する調査」では、推し活後(現在)と推し活前(過去)の自分自身の変化について、「人生が豊かになった」(50.1%)、「人生に充足感を感じるようになった」(45.4%)という回答が上位を占めています(※2)。
このように見てみると、推し活は、幸福感や幸福度という指数を重要視する幸福至上主義の時代における幸福産業の一種にも思えてきます。どのようなものであれ個人として活躍できる役割や場を通じて、自律性が回復されるからです。
ただし、ここには落とし穴があります。回復された自律性が暴走する恐れです。生活費を圧迫するほどの課金、教祖と信者のような盲従関係で起きるトラブルなどは、これまで説明してきた多様な訴求力に絡め取られて、気付けば推し活がアイデンティティーとなり、それなしの自分が考えられないほどハマった末の最悪の結果といえます。
重要なのは、私たちが推し活に何を求めているのかを自分自身に問うことです。一時の癒やしなのか、承認欲求なのか、孤独感や欠落感の埋め合わせなのか…。そこから見えてくるのは、恐らくこの社会が思いのほか不自由であり、コスパの良い処方箋が必要とされているということなのです。
【参考文献】
(※1)西村和雄(ファカルティフェロー)/八木匡(同志社大学)「幸福感と自己決定―日本における実証研究」(2018年9月)
(※2)「推し活に関する調査」(ネオマーケティング)
(評論家、著述家 真鍋厚)
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