「障害のある子は天使」だなんて思えない…障害児を育てる親を苦しめる“励ましの言葉”
「それでも、あなたがいてよかった」
同様に「秘めた才能があるから、そこを伸ばしてみたら」も、よく言われます。言葉をかけた人は勇気づけようとして言っていると思うのですが、この言葉で“療育の鬼”と化し、才能探しの旅に出たり、“才能の温泉掘り”に走ってしまったりする親御さんもいます。
でも、そういうときの親の顔は“眉間にシワ”の怖い顔になっていたり、子どもが思い通りにならない残念さで悲しそうな顔になっていたりします。
また、「才能を生かした職業に就いたら」と励まされ、「今から職業のことも心配しなくてはならないのか!」と感じ、そのプレッシャーに押しつぶされている親御さんもいます。
定型発達の人であっても、才能を生かして自立し、職業に生かせている人はほんの一握りです。「障害がある子は、何か秀でた才能を生かさなきゃいけない」と思う必要はないのではないでしょうか。
「子どもを受け入れる」というのは、たとえ秀でた才能がなくても、わが子の今の状態、存在そのものを受け止めることだと私は思います。
障害がある子を育てる私の友人が、こう言っていました。
「ちゃんとトイレに行けるようになったとか、偏食が減ったとか、目的地まで歩けるようになったとか、靴をそろえたとか、脱いだものをちゃんと洗濯かごにいれたとか、そんなことを喜んで、育てて、暮らしてきました。
絵も描けません。字も書けません。すごい暗記力もありません。スポーツもできません。テレビ番組にも、パラリンピックにも、スペシャルオリンピックにも出られません。ごく普通の障害児です。それでも、あなたがいてよかった。あなたでよかった」
「秘めた才能があるはず」「親を選んでやってきた天使」。耳に心地よさそうに聞こえても、相手にとってはつらい言葉になっていることもあります。皆さんはどうお感じになりますか。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)
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