「やぶ医者」と恨んだ日々…私がわが子の障害を受容し、ありのままを認めるまで
「幸せな人生」と言えるために
息子は現在20歳です。できないことがたくさんあります。しかし今、強く思うことは「何でも1人でできるようになることだけが自立ではない」ということです。人は、1人でできないことの方が多いのですから、できないことがあれば、できる人に頼ればいいのです。例えば、息子は成人した今も計算ができません。しかし、コンビニで好きなお菓子を買うことが楽しみになっています。なぜ、計算ができないのに買い物ができるのか。それは、レジの人に助けてもらっているからです。
親はいつか、子どもとお別れする日がやってきます。いつまでも世話をしてやれないのですから、「他人に頼ること」は親亡き後のことを考えれば必要な力だと思っています。できないことは誰かに助けてもらって生きる、これも自立の形だと思います。さらに、頼れる人をたくさんつくっておくことも自立です。「人に迷惑をかけない子」ではなく、「できないことにはSOSを出せる子」に育てることも大切だと思うのです。
真の受容とは、親が今まで持っていた古い価値観を捨てること。そして、わが子を「あなたはあなたのままでいい」と承認することです。これは「普通」であることの呪縛を断ち切り、「世間体」「世間並み」といった横並びの生き方と決別し、わが子にとって最も幸せな生き方を理解して、寄り添うことなのではないでしょうか。
私の最大の願いは息子が人生最後の日を迎えるとき(その頃、私はもうこの世にはいませんが)、「僕の人生は幸せだった」とつぶやいて天国に行けることです。皆さんの願いは何ですか。その答えがきっと、親と子の寄り添い方を教えてくれると思います。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)



私の場合は、子どもに絶対に障害があるのに様子を見ましょう、と言い続けた自治体の保健師、もっと言えば子供の健診自体に不信感を持っています。段々、この子に障害があるかもしれないと思っている自分はダメ親なのか?と思うようになり、人に発達の遅さを相談するのもイヤになりました。結局自分で調べて通うようになった子ども療育センターで、軽度知的障害を伴う自閉症と診断されました。ショックというより、やっと認められた事と、自分は間違ってなかった事でホッとしました。まず受け入れるまでに時間がかかるのが普通なようですが、自治体の保健師さんの態度で逆にすんなり入り次に行くことができたので良かった?んですかね。
今も子どもの事に関わらず、困り事は役場には相談しません。その道のプロが必ずいるのでそっちに相談した方が早いです。