平賀源内は江戸版「ニコ超」プロデューサーだった
ラッパーの元祖だったかも?
冬にうなぎを食べていた江戸時代、うなぎ屋から「夏にどうやったら売れるようになるか」と相談された源内は「土用(立夏・立秋・立冬・立春直前の18日間)の丑の日には、梅干しやうどんなど『う』のつくものを食べるとスタミナがつく」という俗説をうまく利用し、店先に「本日 丑の日」と張り紙をすることをアドバイスしたとされています。これが大ヒットして、うなぎ屋や牛丼チェーン店では、現在でも「丑の日」にうなぎを販売しています。丑の日は単なるキャッチコピーを超えて食文化として大衆化しています。
これは今でいうと「日本記念日協会」に商品の記念日を登録してメディアプロモーションを行うようなものです。源内はコピーライターでもありました。そのほかにも、歯磨き粉のCMソングを作詞作曲をしたり、京都の清水餅の広告口上(フレーズ)では、ラップ調で「もち」の韻をふんだ広告も作っています。以下は、江戸時代後期の文人・大田南畝(なんぽ)が源内の広告口上をまとめた「飛花落葉(ひからくよう)」の一節です。
世上の下戸様方へ申上候
そも我が朝の風俗にて
目出たき琴にもちいの鏡子もち
金もち屋敷もち
道具に長もち
魚に石もち
廊に座もちたいこもち
家持(やかもち)は歌に名高く
惟茂(これもち)武勇かくれなし
かかるめでたき餅ゆえに
このたび思いつきたての器物さっぱり清水餅
味はもちろんよいよいと
ご贔屓ご評判のおとりもちにて私身代もち直し
よろしき気もち心もち
かかあもやきもちうち忘れ
尻もちついてうれしがるよう
重箱のすみからすみまで木に餅のなるご評判願い奉り候
源内は、日本最初のラッパーだったのかもしれません。
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