平賀源内は江戸版「ニコ超」プロデューサーだった
エレキテルで知られる江戸時代の発明家・平賀源内ですが、それ以外にも、作詞作曲や博覧会、着払いシステムなど日本初の「すごいこと」を数多く手掛けていたようです。
「土用の丑の日」を作っただけではない
皆さん、江戸時代中期の1700年代に生きた平賀源内をご存じでしょうか。多くの人にとっては、エレキテルや「土用の丑の日」を作った人として有名かもしれませんが、そのほかにも、日本初のすごいことをたくさんやっていました。現在でいえば「イベントプロデューサー」です。アカデミックな教養を備え、異常ともいえる好奇心で異文化を受け入れる、独自の発想を持っている人だったのです。
高松藩の足軽身分の家に生まれた源内は、中国古来の植物を取り扱う薬物学「本草学」を学ぼうと藩に仕えるようになりますが、クリエイティブな仕事がしたいと脱藩、今でいう「フリーランス」の身となり、長崎でオランダ文化に触れ、文化交流を盛んに行いました。そんな源内ですが、医学書「解体新書」を刊行した杉田玄白に、画家・小田野直武を紹介した人でもあります。小田野直武は後に「解体新書」図版の原画を手掛けました。
本草学者で医者でもあった源内は、戯曲作家としても人形浄瑠璃の作品を多く残しています。さらには、日本で最初に油絵を描き、体温計や万歩計の発明、銅山や石綿(アスベスト)を使った不燃性の布の開発までしています。
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