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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【前編】

残された者と犠牲者が心を通わす場所

 近所に住んでいた非番の看護師は、駆け付けた病院で津波に流され、いまだに見つかっていません。そのほかの非番の看護師たちも病院に向かおうとしましたが、道路が寸断されており、自宅へ引き返しました。

 助かった職員たちは、患者を救えなかったという自責の念に加えて、同僚を失った悲しみと、「なぜ自分は生き残ったのか」という葛藤に苦しむことになりました。同じ漁船で流されていた同僚と生死を分けた職員は、さらなる重荷を背負うことになったのです。

 残された者が何かを語れば、誰かが傷つく。そのことによって自分も傷つき身動きが取れなくなる。マスコミから取材を受けても、みんなただ黙っているしかなかったのです。同じ南三陸の病院でも75人が犠牲となった公立志津川病院は、新聞やテレビで大きく取り上げられましたが、雄勝病院の職員は口を堅く閉ざしたままでした。

 かつて4000人弱だった雄勝町の人口は、いま実質的に1000人を下回ってしまいました。閑散とした病院跡地には、手作りの木製の慰霊碑が残されています。手書きで40人の患者に続いて職員24人の名前が並んでいます。

 山を越えた北上川の畔には、84人の犠牲者を出した石巻市立大川小学校があります。その慰霊碑には、震災から6年が過ぎた今でも祈りを捧げる人が途絶えることがありませんが、この雄勝病院跡地までわざわざ足を運ぶ人は、ほとんどいません。

 でも、この慰霊碑の周りの花壇には季節の花が咲き、きれいに手入れがされています。それはまるで、残された職員と犠牲者が心を通わせているかのような佇まいです。

(ノンフィクション作家 辰濃哲郎)

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