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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【前編】

宮城県石巻市の市街地から車で40分。雄勝半島の海辺に、東日本大震災で64人が犠牲になった悲劇をひっそりと伝える、質素な慰霊碑があります。

周囲の建物はすべて流され、今は慰霊碑だけが悲劇の跡を物語る

 宮城県石巻市の市街地から車で40分ほどかかる雄勝半島の海辺に、その慰霊碑はあります。東日本大震災で64人が犠牲になったにもかかわらず、ここで起きた悲劇は世間ではあまり知られていません。それには、深い理由があるのです。誰も語ることができない。いや、語れば誰かが傷つく。いまは、海辺にたたずむ手作りの質素な慰霊碑だけが、その深い悲しみをひっそりと語り継いでいるのです。

副院長「入院患者を置いて逃げられない」

 小さな漁村だった雄勝町の海岸沿いには、かつて街で唯一の病院が建っていました。3階建ての最上階にある病室からは、窓いっぱいに雄勝湾を眺められます。映画のロケ地に選ばれるほど「絵になる」病院でした。

 その名は、石巻市立雄勝病院――。

 3月11日、3階建ての病院3階にあった40の病床は全て埋まっていました。大きな揺れの後、駐車場に集まっていた院長や副院長ら幹部に、山へ避難する近所の人が大声で避難を呼びかけました。

「津波がくっから、早く逃げろ!」

 病院のすぐ裏は山です。逃げようとすればいくらでも避難できたはずですが、副院長は「入院患者を置いて逃げられない」。そう言い残して院内へと消えていきました。

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