ベストセラー「明治維新という過ち」が決定的に過っているワケ【前編】
筆者は、「明治維新という過ち」「官賊と幕臣たち」などの著者・原田伊織さんを「明治維新=過ち」という歴史観の代表と断じ、その言説が明治維新の意義を覆い隠していると反論します。
来年、明治維新150年を迎えます。明治維新とは、260年にわたって続いた徳川幕府が倒れ、天皇親政(天皇自ら政治を行うこと)に戻ったことを意味します。さらに振り返れば、12世紀末の鎌倉幕府成立以来700年近くに及ぶ幕府体制が終えんしたことが、明治維新最大の意義と言われています。
尊皇は「時代の気分」などではなかった
天皇親政の理想は、天皇の大御心によって大御宝である国民の生活が守られる政治です。これに対して徳川幕府は国民生活に犠牲を強いて、その権力を維持してきました。たとえば、大飢饉の際の無為無策による犠牲者の拡大にも、幕府統治の問題は表れていました。国民生活が窮乏する一方、幕府役人と結託した一部の町人が跋扈(ばっこ)していました。
ところが最近、「明治維新という過ちを犯したことが、その後の国家運営を誤ることになった」という歴史観が流布されています。その代表的な論者が「明治維新という過ち」「官賊と幕臣たち」などを刊行した作家・原田伊織さんです。原田さんの一連の著作は、長州に対する会津の恨みに発しているように見受けられます。しかし、看過できないのは、その言説が明治維新の意義を覆い隠していることです。
原田さんは江戸幕府体制の弊害について語ることなく、江戸時代は平穏な社会であったと強調し、明治維新は薩長による大義なき権力奪取だったと主張します。しかも薩長は、政権を倒すために天皇を利用しようとしたに過ぎない、尊皇という時代の気分を利用しただけだと主張しています。
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