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なぜ7歳、5歳、3歳? 「七五三」はいつ、どんな目的で始まった? 11月15日の意味は

ほとんどの人が経験したと思われる「七五三」のお参りですが、由来を知っている人は意外に少ないと思います。七五三とは何なのか、和文化の専門家に聞きました。

七五三の由来とは?
七五三の由来とは?

 11月になると、全国各地の寺社で「七五三」のお参りの家族連れが増えます。ほとんどの人が経験したであろう七五三のお参りですが、「なぜ、七五三のお参りは11月15日とされているのか」「なぜ、3歳と5歳、7歳のときにお参りするのか」など、その由来を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。七五三とは何なのか、和文化研究家で日本礼法教授の齊木由香さんに聞きました。

奇数は「陰陽説」で縁起良い数字

Q.七五三のお参りは、いつごろ始まり、どのような目的で行われてきたのでしょうか。

齊木さん「七五三の起源となる行事が始まったのは、室町時代とされています。当時の乳児死亡率は推定で50%以上ととても高く、風邪やはやり病で子どもが亡くなることは日常茶飯事でした。このことから、当時の子どもは神様からの授かり物であり、7歳までは『神』であるとも考えられていました。すなわち、人間として『一人前』とは考えられず、『現世に命がしっかりと定着していない者』として扱われていたのです。

そのため、子どもが誕生するとすぐにではなく3~4年たってから、現在の戸籍に相当する『人別帳』『氏子台帳』に登録され、その後、子どもの成長と長寿を願う行事が行われていました。これが七五三の始まりといわれています。当初は、関東のみの風習でしたが、後に関西を経て全国に広まりました。明治時代には、現在のように健康を願い、人生の通過儀礼として3~7歳の間にお祝いが行われるようになりました」

Q.なぜ、3歳、5歳、7歳という奇数の年齢にお参りするのですか。1歳や9歳、10代で行わない理由は。

齊木さん「中国の思想『陰陽説』では、奇数は『陽数』と呼ばれ縁起の良い数とされています。その1から9の間を取ったものが3、5、7のため、その年齢にお祝いをするとされました。3歳、5歳、7歳それぞれの年齢で行われる行事には、個別に次のような意味があります。

【3歳:「髪置き(かみおき)」】
髪置きは、子どもが髪を伸ばし始める3歳の節目に行う儀式で、頭に糸で作った綿白髪(わたしらが)を乗せて長寿を祈願します。平安時代には、赤ん坊は髪をそって丸刈りにする習慣があり、髪を伸ばし始めることは、ここまで無事に成長できた証しともいえます。綿白髪を乗せるのは、白髪頭になるまで生きられるように、との意味が込められています。

【5歳:「袴着(はかまぎ)」】
袴着は「着袴(ちゃっこ)」ともいい、子どもが初めて袴をつけるときに行う儀式で、碁盤の上で吉の方角を向いて行います。平安時代には公家だけの風習で、男女の区別なく5~7歳の頃に行われていました。時代とともに庶民にも広がり、江戸時代には男児のみの儀式となり、年齢も5歳に定着しました。

【7歳:「帯解き(おびほどき)」】
帯解きは、ひも付きの子どもの着物から卒業し、本裁(ほんだ)ちの着物に帯を締める節目に行われた儀式です。本裁ちは、仕立て直せば大人の着物として着ることができる着物で、本裁ちを着て帯を締めることは、子どもが大きく成長した証しとして喜ばしいことでした。室町時代には男女の区別なく9歳ごろに行われていましたが、江戸時代ごろには、骨格の発達により7歳の女児が行う儀式になりました。

1歳や9歳、10代で行わないのは、子どもの成長過程において行う七五三に対し、子どもの成長や意味合いがそぐわないためと考えます」

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齊木由香(さいき・ゆか)

日本礼法教授、和文化研究家、着付師

旧酒蔵家出身で、幼少期から「新年のあいさつ」などの年間行事で和装を着用し、着物に親しむ。大妻女子大学で着物を生地から製作するなど、日本文化における衣食住について研究。2002年に芸能プロダクションによる約4000人のオーディションを勝ち抜き、テレビドラマやCM、映画などに多数出演。ドラマで和装を着用した経験を生かし“魅せる着物”を提案する。保有資格は「民族衣装文化普及協会認定着物着付師範」「日本礼法教授」「食生活アドバイザー」「秘書検定1級」「英語検定2級」など。オフィシャルブログ(http://ameblo.jp/yukasaiki)。

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