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お清めの塩が落とす「穢れ」とは何か 「塩」には“生”をつなぐ重要な意味?

誰もが、いつかは関わるものでありながら、詳しく知る機会が少ない「葬祭」について、専門家が解説します。

お清めの塩の意味とは?
お清めの塩の意味とは?

「仏教では、死を穢(けが)れとはしないので、仏教の葬儀に塩は必要ありません」

 こんな話を聞いたことがあるかもしれません。特に、浄土真宗では「塩を使わない」という方針を明確にしており、浄土真宗のお葬式では「清めの塩」を使わないのが原則です。

 一方、他の宗派では「お清めの塩は地域の風習に属することで、お坊さんがとやかく言うことじゃないでしょう」ということもあります。つまり、「清めの塩は仏教の教えにはないけど“風習”くらいの扱い」ということです。

 ここで、皆さんに問い掛けてみたいことがあります。塩で落とせる「穢れ」とは、一体何だと思いますか。

穢れの正体は「ウジ」か

「世の中には悪霊が実在し、塩には悪霊を退散させるパワーがある」と考えられていたと思う人もいるかもしれませんが、実質的な意味のないことが脈々と受け継がれてきたと考えるのは無理があると思います。

 こうしたことは俗に「形骸化」と呼ばれ、「形しか残っていない、意味の分からないこと」とされてきました。しかし、裏を返せば、形は残っているので、その形を手掛かりに込められた意味を推し量ることもできるわけです。

 清めの塩については、玄関先で「右肩、左肩、背中、腰、足」の順番で塩を掛ける作法があります。上から下に落としていくので、「穢れを落として家に入る」と表現します。先人たちは、穢れを「落ちるもの、落とすもの」として取り扱ってきたのです。

 では、穢れの正体とは何なのでしょうか。筆者が考える答えは「ウジ」です。

 ハエの幼虫であるウジは、遺体の保存技術が向上した現代ではあまり見られなくなりましたが、エアコンが普及していない、また、ドライアイスが流通していない時代には、遺体に掛けてある白布を外すと、小バエが遺体にたかる光景は珍しくありませんでした。

 ハエの中には、体内で卵を発育し、直接、幼虫を産み付ける種類もおり、ウジが体に付かないように、そして、屋内にウジを持ち込まないように塩を玄関先で上から下に振り、体から幼虫を落としていたというのが合理的な推測です。

 また、土葬が主流だった時代、遺体を葬る墓場は住居地域とは離れた場所にあり、山の奥や便の悪い、いわゆる、山の奥深いところに設定されていました。そこに至るには、木が生い茂る山道を通らなくてはならず、ヤマビルといったヒルなどに気を付けなければなりません。

 ヒルは動物の血を吸う生き物として有名ですが、ウジと同様に塩を振りかけると、浸透圧によって水分が奪われ、活動できなくなります。ヒルの場合、塩が体に付着することによる忌避作用も望めます。ヒルもウジも感染症を媒介する虫なので、腐敗する遺体を取り扱うにあたって「塩を振る」ことは、つまり、「防虫のための行為」だったと考えられます。

 遺体自体を嫌ったのではなく、死によって発生する感染症を防ぐために、遺体にたかり、感染症を媒介する虫をよける方法としたもの、それが塩であったのだろうというのが筆者の意見です。病気を防ぐ手段として、試行錯誤と経験により、風習や慣習といった行動様式が決まっていき、形として残ったと思われます。

穢れと感染防御

「手を洗い、口を清める」

 こうした、日本の伝統的な行為は一般的に「清め」といわれますが、多くは、感染症からの防御として理にかなったものです。死を「穢れ」として嫌うのは、重要な命を守る行為であり、亡くなった故人のせいで感染症が広まることを防いできた、生き残るための知恵であり、続く「生」を大切にする行為だったのではないでしょうか。

 現代では、非常に衛生的になり、建物は機密性が上がって虫が侵入しづらくなりましたし、遺体はドライアイスなどで管理されているので、特に都市部では、虫の存在を実感することが少なくなりました。

 そのため、「塩をまき、故人を穢れだと思うのは失礼だ」という言われ方をしますが、生活の中に虫が当たり前にいる時代、山道を通って土葬する際の、ヤマビルもハエもいてウジも付くという環境下では、塩をまくのは「普通のこと」であって、いくら「故人は穢れではない」といっても、ヒルが付けば「塩を持ってこい」というのは当然のことだったと思われます。

 ちなみに、通夜で「夜通し線香をたけ」といわれるのも、虫が強い臭いと煙を嫌がるためであり、防虫の観点からは理にかなったものです。大切な家族の体に虫がたかるのは心情としてつらいものですから、一晩中線香をたいて虫から守っていたのでしょう。

 火葬が普及して土葬も少なくなり、遺体が腐敗する実感もなく、虫が少ない都市部で生活していると、虫のいた時代の当たり前の工夫が見えなくなります。しかし、双方どちらとも「遺体を虫から守る」「遺体の影響で死を広げない」という、死者を大切にする行為だったのではないでしょうか。

 遺体が衛生的に保全されている現代、「塩をまく」という行為の必要性は、ほぼなくなっています。個々の宗派としての指導がある場合は、素直に従えばよいと思いますが、安易に迷信と呼ばず、「先人の工夫は命を守る知恵だった」と風習の意味を考えてみれば、葬儀の際の「清めの塩」の印象がずいぶんと変わるのではないでしょうか。

(佐藤葬祭社長 佐藤信顕)

佐藤信顕(さとう・のぶあき)

葬祭ディレクター1級・葬祭ディレクター試験官・佐藤葬祭代表取締役・日本一の葬祭系YouTuber

1976年、東京都世田谷区で70年余り続く葬儀店に生まれる。大学在学中、父親が腎不全で倒れ療養となり、家業を継ぐために中退。20歳で3代目となり、以後、葬儀現場で苦労をしながら仕事を教わり、現在、「天職に恵まれ、仕事も趣味も葬式」に至る。年間200~250件の葬儀を執り行い、テレビや週刊誌の取材多数。YouTubeチャンネル「葬儀葬式ch」(https://www.youtube.com/channel/UCuLJbkrnVw6_a35M0rk8Emw)。

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