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伝説の少女から“芸能界の鉄人”へ! 観月ありさの連ドラ「30年」を振り返る

「サザエさん」のような当たり前の存在

 ところで、彼女には歌手としての顔もあり、1991年のデビュー曲「伝説の少女」や小室ファミリー草創期のヒット曲「TOO SHY SHY BOY!」が有名です。

 それ以前には、4歳から子役もしていて、ブレーク作は1989年の「教師びんびん物語II」(フジテレビ系)。小学生役の子どもたちの中でも、ひときわ目立つ存在でした。思えば30年間、ドラマの第一線で活躍しているわけです。

 その安定感は、かつて「3M」として共に並び称された宮沢りえさん、牧瀬里穂さんをしのぐともいえます。ただ、芸能人はとかく紆余(うよ)曲折があった方が記憶に残るもの。元気でいて当たり前の、無事これ名馬タイプは意外と評価されにくかったりもします。

 そんな彼女は、国民的漫画でアニメでもある「サザエさん」の実写単発ドラマにも4度主演しています。個人的には、何人もいるサザエさん女優の中でも一番なのではと。あの髪型も似合うし、あのキャラクターを誰より自然に演じることができていた気がするのです。

 実際、「数年前から何度かお話を」もらっていたそうで、最初に主演する際、

「いつか自分はこの役を演じるんだろうなっと思っていたので、違和感はまったくありませんでした」

 と、語っていました。

 そして「サザエさん」もまた、日本人にとって、あるのが当たり前で、常に安定した面白さを届けてくれる存在。観月さんの魅力にも通じるものがあります。そんなところも、この世界記録につながっているのでしょう。

 ちなみに「サザエさん」は今年でアニメ化50周年。もし、彼女が連ドラ主演の記録を50年まで伸ばしたとしたら、そのときの年齢は65歳です。決して不可能ではないですし、例え記録が途切れても、ドラマの第一線で活躍しているのは間違いなさそうです。

(作家・芸能評論家 宝泉薫)

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宝泉薫(ほうせん・かおる)

作家、芸能評論家

1964年岐阜県生まれ。岩手県在住。早大除籍後「よい子の歌謡曲」「週刊明星」「宝島30」「噂の真相」「サイゾー」などに執筆する。近著に「平成の死 追悼は生きる糧」(KKベストセラーズ)、「平成『一発屋』見聞録」(言視舎)、「あのアイドルがなぜヌードに」(文春ムック)など。

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