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田村淳さん慶大院進学に批判コメント殺到、根底に“怒り”が引き起こす情動のパニック

人はなぜ「嫉妬」をするのか

 筆者は人事アセスメントの専門家でもあるので、その視点で嫉妬について解説します。次のような場面を想定してください。あなたは入社5年目の中堅社員です。上司や同僚にも気に入られて、大きなミスもなく過ごしてきました。そんな中、Bさんが中途入社してきました。Bさんは周囲から気に入られているようで、あなたは面白くありません。

 あなたは、毎日提出する日報に次のように書きました。

「私は毎日、一生懸命に頑張っています。でも最近は、みんなBさんのことばかりを気にかけています。部門の打ち上げに行ったときも、Bさんがいないことに気付いて、『どうしたんだ? 早く呼んでこい!』。私はとても悲しい気持ちになります。どうして、Bさんばかりが気に入られて優遇されるのか不思議でなりません」

 これは会社でよくある現象です。「自分よりも優遇されている」と思うと、これまでの実績が否定されてすべてを失う感覚に陥ってしまいます。上司も同僚も当たり前の対応をしているだけですが、嫉妬の気持ちがどんどん膨れ上がっていきます。揚げ句の果てには「会社辞めようかな」と破壊的な感情が芽生えてしまうのです。

 このとき、あなたの中には、情動(感情)のパニックが起きています。怒りの感情は、フラストレーションを高めて情動のパニックを引き起こします。自分にとって大事なものを遮断されたときに発生する感情です。この感情は優れている相手には抱きません。「中途入社」「年下」など「条件が自分よりも劣っているのに」と思うので、スイッチが入るのです。

 そして、破壊的な人格に変身してネット上で書き込みをします。嫉妬は発作に近いので、淳さんがどのような正論で対峙(たいじ)しても収まることはありません。そういう相手は無視するのが一番です。無視することで相手は孤独感を感じるようになります。触らなければ時間の経過とともに収まるのです。淳さんは、過度な反応は控えた方がよいでしょう。

 さて、意欲ある人が学ぶための環境が整いつつあります。淳さんのようなケースが増えるのは歓迎すべきことです。研究結果が公の場で発表されることを楽しみにしています。なお、淳さんは個人的に好きな芸人さんなので、エールを送ります。

(コラムニスト、著述家 尾藤克之)

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尾藤克之(びとう・かつゆき)

コラムニスト、著述家 尾藤克之

コラムニスト、著述家。
議員秘書、コンサル、IT系上場企業等の役員を経て、現在は障害者支援団体の「アスカ王国」を運営。複数のニュースサイトに投稿。代表作として『頭がいい人の読書術』(すばる舎)など21冊。アメーバブログ「コラム秘伝のタレ」も絶賛公開中。

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コメント

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14件のコメント

  1. 通信から院生になれるなんてまえはあり得なかった。大学卒業し論文提出で審査ありましたが、慶応は終わりました

  2. 慶応KMDの宣伝にもなるしな。
    杉村太蔵の後輩かいな。
    サンジャポでまた岸センセに怒られたいのかね。

    • 淳は、政治家になりたがってるじゃん。
      嫉妬じゃないよ?
      政治家になれなかったら、コメンテーターか。
      高給狙ってるだけじゃん。
      結婚だって、あのカナさんだよ。
      経緯が微妙だったし。
      人格の薄さを話術でごまかしてるだけ。

  3. 大学院は入る人が少なくてどこも困っている。
    慶応の名前が欲しけりゃそういう選択肢もあるわな。
    意味は無い気がするけれど。

  4. この文章では嫉妬だと片づけられていますが、
    本来、修士課程は学士でなければはいれないのがルール。
    通信制大学をきちんと終えてからなら文句のいいようがないが、それさえも投げ出して芸能人としての知名度をふりかざして修士にはいるのでは、何が「学ぶ意欲」か。
    本当に意欲があるなら、きちんと学士をとることができるんじゃないですか。

  5. あまりよくない前例を作っちゃったかな?
    慶応の通信は他の通信と違い、(失礼に当たったらごめんなさい)
    本当に厳しいことを、直木賞作家だったかな、三林京三さんがご自身の
    体験をもとにした作品、「キャンパスの雨」で描いておられます。
    私は、この本を読みながら、当時、ある有名大学の二部に通い、
    現在、その大卒の資格で受験して、西の慶応と言われている
    関西のある大学の大学院で正規の学生として勉強しています。
    若い時に大学卒の資格を、昼間働きながらでも得たからです。

  6. 通信課程、しっくりこなかった ではなくて卒業まで普通に10年近く費やすこと知って
    逃げ出したんだろ。高校で英検4級に落ちる位だから偏差値20、倍かかるな。
    大学院通いは映画でも見に行く感覚なんだろな。

  7. じったさんに共感です。
    大学院は本来大学で勉強して学士の資格を得て、その学力に基づいてさらに研究を行うのが基本だと思います。
    私の知り合いも慶応大学の通信課程を出ていますが、やむを得ず大学に行けない人や行かなかった人が、難関大学の一つである慶応大学卒業の資格を得ることが出来るコースとして大変歴史と信頼のある通信課程と聞いています。
    だから、政治家等が学歴ドレッシングをする際に、慶応大学在学中(通信課程)などと謳っているケースがありますがほとんど卒業できていません。それと言うのも、ほぼ誰でも始められるのですが本当にしっかりと勉強しないと卒業させてもらえないからだとのことです。
    卒業が難しいからこそ、通信制であっても慶応大学卒業の学歴が得られてその学士の称号には価値があり社会的にも認められるのです。
    学士でなくとも、修士課程に入学することが認められるのはあくまでも、学士と同等の学力があると認められる場合であるべきであり、通信課程で学ぶ機会を自ら選択したにも拘らずそれについていけなかった人を修士課程に入学させる時点で、軽謳の名前、卒業生、社会的な信用にとって良い影響があるはずはありません。
    本来なら勝手にどうぞと言いたいとことですが、有名タレントはこのような学歴ドレッシングをすることにより、問題なのは子供たちへの影響です。
    学問は積み上げが必要なのに、抜け穴のようにして学歴のドレッシングをする方法があるのだと子供たちが少しでも思ったら、真面目に頑張ろうという気持ちに水を差すことになります。
    日本は明治以来、産まれた階級に拘わらず勉強して学力をつけ学歴を得れば、成功は約束されなくともその入場切符を公平に得ることが出来るという事が成長の原動力だったはずです。
    そんなことは、軽謳の担当教授も当の本人も考えていないでしょうが。

  8. 大学で取得できる学位は、学士、修士、博士、と専門職学位というのがあります。大学、大学院に在籍して講義を受け指定された講義の単位を取得し、並行して学位論文のための研究をして、論文を書いて提出します。

    いわゆる卒業論文が学士、修士論文が修士の取得のための論文です。提出できる論文は大学によって多少異なると思いますが、国立大学の場合は、学術論文として使える論文は、学術雑誌に出版されたものと、いくつかの論文をまとめたテーシス形式があります。

    博士論文は、基本的には学術雑誌に投稿し出版されたもので、一編だけでなく関連して出版した複数の論文が必要な場合が普通です。それらを、数人の学位審査委員会で審査し、最終的に教授会で承認されて初めて博士が授与されます。つまり、ただ、大学あるいは大学院を出ただけでは博士の学位は取得できません。

    よく、○○大学院博士課程を単位習得の上卒業(退学)という略歴が書かれているのを見かけますが、大学院で勉強して卒業した、という程度の意味で、その人の専門的能力を示すものではありません。大学院に入学して期間内に学位を取得した場合を課程博士、入学しないで、それまでに出版した論文で大学院に申請して博士を取得した場合を論文博士といいますが、どちらも博士です。

    淳さんが学歴の肩書が欲しいのか、勉強をしたいのか、専門家になりたいのか、何を目指しているのかはわかりません。

  9. なんで嫉妬?

  10. ここのコメントも嫉妬が透けて見えるな。勉強したい人がいて、入ってもいいという大学院があるなら、他人がどうこういうことじゃないじゃない。あほらし

  11. なにが目的で大学院に進学するのか、馬鹿でも行けるのが大学院なのか、チャレンジとは何をお気楽なこと言ってるのか馬鹿につける薬はないからな?

  12. 慶應出みたいなインテリ気取りに見えるから、嫌いになるんじゃ?
    慶應大学院であって、慶應大には学力では入れない。
    慶應のブランド欲しかっただけだろうし。
    英語、国語、社会、どれ一つとっても日東駒専にも入れないだろうに、頑張ってきた人たち大勢からみたら、腹立つ、嫌いって印象悪くなるだろうよ

  13. このタイプの怒りは自分より下だと思っていたものが優遇されることに対する嫉妬だという論です。
    思わず納得してしまいました。
    ここで怒りをあらわにされている方、自分より田村敦さんを下に見ていたからだということになりますよね。
    怒りをあらわにされている方、田村淳さんより社会的に実力を発揮されているのですか?
    さらに上だと思える実力をお持ちなのですか?
    その上で、自身が感じている怒りが本当に正当なものなのか、
    もう一度考えてみたほうがいいではないのでしょうか?
    周りから見て「見苦しいな…」と思われていないとよろしいですね。