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連載終了、雑誌は休刊…漫画の仕事がなくなった危機描く漫画 「頑張ってください」とエール

漫画家の仕事が途切れた経験を描いた漫画が話題に。連載の終了や雑誌の休刊が相次ぎ、ついに仕事がなくなってしまった男性は…。

漫画家の仕事が途切れた経験を描いた漫画のカット=のんた丸孝(@nontamaru)さん提供
漫画家の仕事が途切れた経験を描いた漫画のカット=のんた丸孝(@nontamaru)さん提供

 漫画家の仕事が途切れた経験を描いた漫画がSNS上で話題となっています。連載の終了や雑誌の休刊が相次ぎ、ついに仕事がなくなってしまった男性。必死に仕事を探そうと、奔走しますが…という内容で、「共感した」「どん底の時期を描けるのは素敵」「本物は違う」「頑張ってください」などの声が上がっています。作者の男性に聞きました。

紙媒体に対する執着を断ち切った

 この漫画を描いたのは、のんた丸孝(ペンネーム、53)さんです。19歳で「週刊ヤングジャンプ」に読み切り漫画が掲載され、漫画家デビューしました。「縁距離な夫婦 躁うつといわれた嫁との20年日記」(朝日新聞出版)などを手がけ、現在は、コンテンツ制作会社に漫画を出稿しています。

Q.これまでにどのような漫画を描いてきましたか。

のんた丸さん「ラブコメ、スポーツもの、格闘ものなどを描いてきました。20年前からはパチンコの漫画雑誌で連載も始まり、多いときは月刊誌3本をベースに月70枚ほど描いていました。時代と共に掲載誌がなくなり、2017年末に担当雑誌がすべて休刊しました」

Q.今回の漫画を描いたきっかけは。

のんた丸さん「この半年間で、『これから仕事どうしよう…』と同じような不安を抱えた漫画家仲間に会ったことです。今回の漫画に描いたような話をしたところ、『そうだよね、やってみないと!』とやる気になってくれる人が多かったです。そこで、ツイッターに投稿しようと思い、仕事の合間に軽い気持ちで描きました」

Q.過去に仕事がなくなったことは。

のんた丸さん「2018年に初めて仕事が途切れました。元々、特定のジャンルの漫画に比重をかけすぎていたため、そのジャンルの漫画誌がどんどん減っていくと、描き場を失ってしまうという状況に陥りました。当時は先が全く見えず、3カ月ほど無職のような状態が続きました」

Q.そうした状況から、どのようにして立ち直ったのでしょうか。

のんた丸さん「これ以上、漫画家を続けていくのは無理だと思い、妻にやめたいと相談しました。ところが妻は『あなたはずっと漫画しか描いてこなかったんでしょ』『こんなに描けるのにもったいないのでやめない方がいいよ』と言ってくれました。妻の言葉をきっかけに『1年くらい赤字でもいい』『必死にもがき漫画で生活できる道を探してみよう』と覚悟が決まりました」

Q.仕事が入った要因は。

のんた丸さん「紙媒体に対する執着を断ち切ったことだと思います。仕事がなくなった後、同人誌を作り、『コミティア』(自主制作漫画の即売会)に出店しました。さまざまな出版社の出張ブースに片っ端から持ち込んでみましたが、『面白いですがうちでは…』と決まって言われ、惨敗でした。既存の紙媒体が必要としているのは、ネームバリューのある人か、将来性のある若手さんなのだと感じました」

Q.現在の仕事に出会った経緯は。

のんた丸さん「知人から現在の会社を紹介されました。その後、プレゼンした企画の一つを気に入っていただき、毎月30ページの枠を頂きました。まとまったページを描かせていただき、それを買い上げていただくのはありがたいです」

Q.漫画について、どのような意見が寄せられていますか。

のんた丸さん「予想以上に反響が大きく驚いています。漫画家さんからは『そうですね、やってみないと』、それ以外の職種の方からは『どの仕事にも通じることだなあ』などの意見を頂きました。自分の好きなことを仕事にした人は、楽しみも仕事の中から見いだす人が多いので、やれる状況さえあればずっと続けていきたいのだと思います」

Q.創作活動で今後、取り組んでいきたいことは。

のんた丸さん「生活のために描くことはもちろんですが、趣味で描いた漫画もツイッターに投稿し続け、読者の方の反応を見ていきたいです。その中に漫画を描く上でのヒントがあるかもしれないと感じています。ツイッターでの反応から漫画のキャラクターや構想が展開していけば楽しいですよね」

(オトナンサー編集部)

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