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アキラ100%の下積み時代 役者志望、椎名桔平から“失踪”、ニート、芸の道へ…

日本テレビ系連続ドラマ「トップナイフ-天才脳外科医の条件-」に出演するアキラ100%さんに、下積み時代の経験や現在の心境などを聞きました。

アキラ100%さん
アキラ100%さん

 放送中の日本テレビ系連続ドラマ「トップナイフ-天才脳外科医の条件-」(毎週土曜 後10:00)で、自身初の地上波ドラマレギュラー出演を果たしているお笑いタレントのアキラ100%さん。

 元々は俳優志望で、下積み時代は俳優・椎名桔平さんの付き人を経験。30歳でお笑いに転じ、42歳で、ピン芸No.1を決める「R-1ぐらんぷり」(関西テレビ・フジテレビ系)で優勝しました。現在は俳優としても活躍、「トップナイフ」で椎名さんと二十数年越しに共演しています。

 オトナンサー編集部では、アキラ100%さんに単独インタビューを実施。同ドラマへの意気込み、下積み時代の経験や現在の心境などを聞きました。

高校で演劇の世界へ 大卒後、事務所のオーディション

Q.元々、役者志望ということですが、演技に興味を持ったきっかけは。

アキラ100%さん(※以下敬称略)「中学では野球をしていたのですが3年生のとき、目が悪くなってしまって、もう野球は無理かなと。高校では文化部にしようと、入部したのが演劇部でした。

次第に演劇に没頭するようになって、この世界でご飯が食べられるようになれたらいいなと思うようになりました。当時は、鴻上尚史さんの『第三舞台』、野田秀樹さんの『夢の遊眠社』など、小劇場運動の第3世代と呼ばれるブームで盛り上がっていた時代で、よく見ていました」

Q.大学の頃も演劇をされていたのですか。

アキラ100%「当時通っていた大学には演劇サークルがなくて、いわゆる小劇場で活動していました。社会人の方が主宰する小劇団で、脚本ができるたびに人を集めてカンパニーを組むスタイルで僕も参加させてもらいました」

Q.大学卒業後は。

アキラ100%「卒業のタイミングでいろいろな事務所にオーディションの手紙を出したのですが、その中で、椎名(桔平)さんが以前所属していた事務所さんの最終選考に運よく残れました。駄目でしたが、事務所のお手伝いをしながら役者の勉強をすればと誘っていただいて、電話番や掃除、お茶出しなどをしていました」

Q.椎名さんの付き人になったのは、その頃でしょうか。

アキラ100%「はい。そうこうしているうち、椎名さんの当時の付き人さんが辞めることになって、車の免許も持っていたこともあり、運転手兼現場の付き人ということで声を掛けていただきました。でも、その事務所でお手伝いをしていたのも数カ月で、椎名さんの付き人に至っては2カ月くらいの短い間でした」

Q.その理由は。

アキラ100%「僕が本当にできない…駄目なやつだったんですよ。運転も下手で、首都高にも慣れなくて。ナビもない時代ですから『マップル』を買って、事前に、事務所の車で予行練習もしたのですが、緊張と焦りで急ブレーキ、急発進ばかり。

車中で台本を読む椎名さんの頭がグワングワンと…椎名さんには『ポンピングブレーキって知っている?』『ウィンカー出して次は右』と教習所の教官みたいなことを言わせてしまっていました」

Q.それで退職することにしたのですね。

アキラ100%「ご迷惑をお掛けしていましたし、僕もふさぎ込んでしまって、これはもう駄目だと。椎名さんのお宅の前に手紙と車の鍵を置いて、頭を下げて、何も言わずに“とんで”しまったという…ひどい辞め方でした」

Q.その後も役者として活動されていたのですか。

アキラ100%「いくつかの養成所に通いました。研究生として舞台を年に何回かやらせてもらって、たまに映像作品でせりふのある役を頂くこともありました。26~27歳くらいまではやっていましたが、舞台のチケットノルマを自分で払うような感じで、稽古とバイトの連続に疲れてしまい、これでは絶対に役者にはなれないなと。その後、1~2年くらい、何もしていない時期がありました」

Q.何もしていないとは。

アキラ100%「たまにバイトはしましたが、ほぼニートみたいな生活でしたね。親からも『お前どうするんだ』と言われていました。でも、あんなに好きだったお芝居を終わりにするのが悔しい半面、チケットノルマを払いながらやる演劇にも限界を感じていたので、元々、コメディーやお笑いも好きでしたから、ならばお笑いをやってみようと。2005年の30歳のときにお笑いを始めました」

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