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「ミステリと言う勿れ」で分析する菅田将暉の“ボーダーレス”な姿

主演を務めるフジテレビ系連続ドラマ「ミステリと言う勿れ」で、天然パーマの大学生・久能整役が話題の菅田将暉さん。その魅力に筆者が迫ります。

菅田将暉さん(2021年3月、時事通信フォト)
菅田将暉さん(2021年3月、時事通信フォト)

 役者なのか、歌手なのか、それともモデルなのか。ドラマや映画、歌やファッションなどジャンルを問わず、ボーダーレスに活躍の場を広げ続ける菅田将暉さん。

 特に映画界において、昨年の菅田さんの露出はすさまじく、1月に公開された「花束みたいな恋をした」から始まり、6月公開の「キャラクター」、8月公開の「キネマの神様」、そして10月公開の「CUBE 一度入ったら、最後」と出演作が相次ぎました。

 現在は月9ドラマ「ミステリと言う勿れ」(フジテレビ系)で主演、並行して大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK総合)でも、キーパーソンとなる源義経役を演じています。その活躍は引き続き、お茶の間で親しまれ続けることになるでしょう。

天然パーマ大学生・久能整

「ミステリと言う勿れ」で菅田さんが演じるのは、教師を目指している大学生で、クルクル天然パーマがトレードマークの主人公・久能整。田村由美さんの原作漫画を実写化した同作は「児童虐待」を一つのテーマとして根底に据えています。

 ドラマでも少しずつ明らかにされているように、おそらく整自身も「虐待サバイバー」。幼少期に受けた仕打ち、掛けられた言葉、優しい心を持った大人に助けられた経験から、教師になる夢を抱くに至ったと想像できます。

 今回のように、原作があるドラマや映画で座長を担うとき、菅田さんからは言葉にならない“覚悟”を感じ取ることができます。

 ドラマや映画が放送または公開されれば、すぐさま感想や評価が飛び交う時代で、原作を愛する多くのファンたちに対し、彼は一種の責任を果たそうとしているように思えてなりません。その姿勢やまなざしは、役者のそれというより、もはや伝統工芸を守り抜く、職人に近いものを感じるのです。

 それは、作中で整が口にする「名言」の数々からも示されています。第1話の中で、整が遠藤憲一さん演じる薮刑事を淡々と諭すシーンが注目を集めました。

 交通事故で妻子を亡くした薮に対し、整は「刑事として仕事に向き合う時間を、少しでも、家族と過ごす時間に代えられなかったか」「僕ならこう言う。お父さん、僕たちの復讐(ふくしゅう)のために時間を使ってる方が、生き生きしてるね、って」と切り込んだのです。

 言葉こそ辛辣(しんらつ)ですが、彼の口調や姿勢は常に淡々と流れていて、だからこそ、ある種の説得力を持って、見る人の心に響き、不思議と染みていくのです。

 同作のプロデューサーを務める草ヶ谷大輔さんも「説得力のある言葉を発せる方(中略)きちんと人の心に響いていく表現をしてくださる方と考えると、菅田将暉さんしかあり得なかった」「これを見事に演じていただけたことが、今の反響につながっている」(オリコンニュース)と語っています。

 原作の整は、無表情でいるカットが多く、発する言葉に感情を乗せないタイプであることがうかがい知れます。原作モノということもあり、当初は菅田さんも「原作通りに、淡々とただ思うことを言って、言葉の意味を人に浸透させていく方法を最初にやろう」(「ミステリと言う勿れ」公式サイト)と語っていました。

 しかし、それだと「だんだん整に教祖感が出て来てしまう」(同)とのこと。整の言うことが絶対の正義ではなく、彼こそが発展途上であり、あらゆる物事に対して“考えている途中”なのでしょう。それを忘れないためにも、原作者と直接話した上で「ただ淡々と話すだけではなく、伝えようとする意識」(同)を持つことに決めたと言います。

 その信念は、1話以降すべての話において共通しているように見え、淡々としているのに、どこか切実でもあり、整自身の実体験から導き出された“彼自身の言葉”で話しているのが伝わってくるのです。

 それはまさに、菅田さんの“技”と言っても差し支えないでしょう。

表現の職人で在り続ける

 2月28日に放送された第8話でも、その舌鋒(ぜっぽう)は鋭いまま。むしろ鋭さは回を追うごとに研ぎ澄まされている気さえするのです。

 鈴木浩介さん演じる天達とともに、通称・アイビーハウスなる別荘でミステリー会に参加することとなった整。天達は整の通う大学の教授であり、彼ら2人は天達の亡き妻・喜和(水川あさみさん)を介して深く交流するようになりました。

 アイビーハウスには、天達の高校時代の友人である蔦(池内万作さん)が参加者を出迎え、この、蔦、整、天達のやりとりが示唆に富んでいました。

 あまり人付き合いが得意そうには見えない整に対し「(教師は)向いてないんじゃないか?」と問いかける蔦。「向いているから教師になりたいわけではないです」と返答した整に合わせるように、天達が「自分の苦手を分かっている教師は、子どもの苦手も分かってあげられる」とまとめたのです。

 このドラマは、総じて「当たり前だと思っていた事実が、実はそうではなかったと痛感させられる」体験に満ちています。上記のやりとりも、向いている、向いていないの2軸で自分の就く職業を判断する、危うさや不思議さを示していると考えられます。

 整の淡々とした居住まい、あっさりしているのに説得力がある節回し、圧倒的な信頼を感じさせる在り方、生き方や物事に対する向き合い方は、これまで菅田さんが役者として積み上げてきたそれらと、通じるものがあるように感じるのです。

 いわば“表現の職人”とでも言うべき菅田さんの、作品や役柄に対する向き合い方は、今後も重厚さを伴うものになっていくのでしょう。

(ライター 北村有)

北村有(きたむら・ゆう)

フリーライター

邦画・国内ドラマ関連のコラム記事やレビュー記事、インタビュー記事を手掛けるフリーライター。主な執筆媒体は「cinemas PLUS」「RealSound映画部」「ROOMIE」「TV LIFE」「Workship MAGAZINE」など。ツイッター(https://twitter.com/yuu_uu_)

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