娘と家出した妻に毎月6万円を送り続け…人間ATMと化した男が辿り着いた「絆の整理」(上)
東日本大震災から7年――。地震と津波、その後の原発事故と避難生活という危機的状況において「家族」が一つのテーマになりましたが、こうした状況でも、互いに罵り合い、足を引っ張り合う夫婦も珍しくないようです。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から7年が経過しました。7年(2555日)の間にいやがおうでも考えさせられたのは家族のあり方、特に「夫婦」とは何かです。夫婦なのに妻が夫を助けようとしない。地震や津波、原発事故などの危機的な状況下で罵り合い、足を引っ張り、そして無視を決め込むような夫婦は決して珍しくありません。特にひどいのは妻子が勝手に出ていき、夫は取り残され、毎月せっせと生活費を送るけれどわが子の顔を拝むことすらままならず、完全に「人間ATM」と化したケースですが、今回の相談者・福田裕司(42歳、福島県在住)もその一人です。
「妻に援助するため休日は除染のアルバイトをしているのですが、もう限界です。どれだけ待てば妻は戻ってくるんでしょうか。娘と一緒に暮らせる日が来るんでしょうか。僕はただ、元の生活を取り戻したいだけなんです!」
裕司さんはそんなふうに涙ながらに語りますが、震災から7年目でようやく一歩を踏み出す決意をしたようです。
<家族構成と登場人物、属性(すべて仮名。年齢は現在)>
夫:福田裕司(42歳)→会社員(年収600万円)
妻:福田恵(40歳)→会社員(年収400万円)
長女:福田花梨(8歳)→小学生
「本当は離婚するつもりでした。でも、なかなか時間がなくて…」
裕司さんは、震災前の結婚生活についてそう振り返ってくれました。まず育児ですが、娘さんの世話もそこそこに、大半の時間はテレビでDVDを流し、それを娘さん1人に見せ、遊び相手になってあげることはなかったようなのです。次に家事ですが、掃除機をかける、荷物を片付ける、ゴミを出すといった最低限の掃除すらやろうとしないので、裕司さんが1日家を空けただけなのに、取り込んだまま畳んでいない衣服や食べ終えたまま洗っていない食器、そして途中まで読んで放り出したままの絵本の数々が部屋中に散乱しており、もはや「汚部屋」の一歩手間でした。震災直後、家の中はメチャクチャでまるでゴミ箱をひっくり返したかのような有り様だったのですが、それだけではありませんでした。
年末に娘さんがインフルエンザにかかってしまった時。大みそかということもあり、なかなか病院が見つからなかったそうですが、妻は裕司さんに任せきり。「繁忙期なのに仕事の量を減らして早く帰宅するのは無理」と言い、一緒になって病院を探そうとしなかったのです。最初、裕司さんが私のところへ相談に来たのは、裕司さんがいよいよ離婚を切り出そうとしていたタイミングでした。私は娘さんの親権を取るという前提で「離婚でも仕方がないのではないでしょうか」と背中を押したのですが、東日本大震災が発生したのはその矢先でした。
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