「真田丸」でおなじみ後藤又兵衛、その最期は秀頼拝領の刀で 新資料発見の意義とは
NHK大河ドラマ「真田丸」はいよいよ「大坂の陣」に突入しました。大坂の陣といえば、幸村と並ぶ活躍をした後藤又兵衛が有名ですが、その壮絶な最期を示す資料がこのほど、発見されました。そのポイントについて解説します。

俳優の堺雅人さん主演のNHK大河ドラマ「真田丸」は、堺さん演じる主人公の真田幸村(本名:信繁)が大坂城に入場し、いよいよ「大坂冬の陣」が始まりました。
11月13日放送回は、幸村が築いた真田丸に攻めかかった徳川兵を、幸村とともに「大坂五人衆」に数えられる後藤又兵衛(哀川翔さん)らが撃退するストーリーでした。
冬の陣の半年後、「大坂夏の陣」で壮絶な戦死を遂げたといわれる又兵衛ですが、その最期を示す資料「書付『後藤又兵衛討死之時』」が発見されたと先日、岡山県立博物館が発表しました。
オトナンサー編集部では今回、同館の片山明浩副館長に、この資料の意義について話を聞きました。
京都にある子孫宅で発見された
まずこの資料はどこで発見され、どんな内容だったのでしょうか。
同館によるとそのサイズは横35.0センチ、縦27.4センチ。京都府にある金万平右衛門の子孫宅に残されていたといいます。
この金万平右衛門は備前国の国人で、大坂の陣において、又兵衛のもとで戦った人物。戦後は稲葉正成に仕官し、その子孫は淀藩稲葉家の家老であったと伝わります。
豊臣方で戦い、その後、生き残った人間の手になる資料は非常に貴重とのこと。そして、資料の内容を現代語に直すとおおむね、以下の意味になります。
・後藤又兵衛が討ち死にした際、秀頼公から拝領した脇指行光(わきざしゆきみつ)で、又兵衛の首を討ちました。秀頼公の前で又兵衛の討ち死にの様子を報告した際、長四郎という小姓に脇指を渡しました。又兵衛の印を差し上げることはできませんでした。
・脇にいた(別の)小姓に又兵衛の指物である「かえり半月」の片折れしたものを、又兵衛の討ち死にの証拠として秀頼公に差し上げました。
・平右衛門は長四郎たちに手渡したのが終わった後に(秀頼公の前に)到着しました。
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