娘と家出した妻に毎月6万円を送り続け…人間ATMと化した男が辿り着いた「絆の整理」(下)
東日本大震災から7年――。地震と津波、その後の原発事故と避難生活という危機的状況において「家族」が一つのテーマになりましたが、こうした状況でも、互いに罵り合い、足を引っ張り合う夫婦も珍しくないようです。
「もう死にたい!」
妻は何度となく裕司さんに訴えかけてきたのですが、裕司さんは一向に首を縦に振らなかったので妻は精神的に追い詰められていたのです。
「勝手なことをしたらどうなるか分かっているんだろうな!」
裕司さんがくぎを刺していたにもかかわらず、結局、夫の目を盗んで移住を決行したのです。娘さん、そして愛猫を連れ岡山県内へ引っ越したのですが、いかんせん先立つものがないので娘さんのために加入していた学資保険(当時の掛け金は計100万円)を勝手に解約し、転居費用に充ててしまったのです。高校を卒業してから12年間勤めてきた会社を辞めたようですが、裕司さんには、妻がどれくらいの覚悟で「死にたい!」と言ったのか想像もつかなかったのです。
裕司さんの再三にわたる忠告を無視する形で別居へと踏み切ったのに、妻は平気な顔で「生活費を送ってほしい」と頼んできたのです。「お前は自分が何をしでかしたのか分かっているのか。もう自己責任だろ。そっちで何とかしろよ。無理だって言うなら花梨をこっちに返せよ」と、あきれてものも言えないという感じで一度は断ったのです。
裕司さんはもともとの住宅ローン(月8万円)に加え、自宅の修繕にかかる費用を現金だけでまかなうことは難しく、不足分のローン(月4万円)を組まざるを得なかったのですが、年収500万円の夫には二重のローンが重くのしかかっており、3人暮らしが1人暮らしになったところで、生活費は3分の1になるわけではありません。反対を押し切って姿を消した妻子へ仕送りするほどの余裕はないというのが本音でしょう。
しかし、過去の妻の言動を考えると、裕司さんに生活費を渡さないという選択肢はありませんでした。例えば、妻は近所のスーパーで品物を万引きし、盗品を使って晩御飯を作ったあげく、食事中に「盗んだ品」だと暴露し、まるで武勇伝のように自慢げに語ることがあったようです。もし別居先で妻が金銭的に追い詰められた場合、娘さんに食事を与えない、学校に通わせないといった育児放棄だけでなく、娘さんにスーパーで食材を盗んでくるよう指示し、窃盗の片棒を担がせる可能性も十分にあったのです。だから、裕司さんは妻の小遣いではなく、娘さんの養育費として毎月6万円を送金し続けたのです。
もちろん、裕司さんの年収で月6万円を工面するのは難しいので、土日は除染作業のアルバイトに汗を流すことになったのですが、そこで目に飛び込んできたのは被災地の惨状の数々。勝手に出ていき、戻ってくるかどうか分からない妻子のためにお金を振り込み続ける……裕司さんは自分の悩みなんて大したことがないと気付かされたのです。もちろん、被災者の方々から厳しい言葉を浴びせられることも多々あったようですが、一方で「頼りにしているよ」「頑張って」「無理するなよ」と温かい言葉をかけてもらうことも。
ただでさえ、裕司さんがほぼ年中無休の状態で働き続けたのに、妻はそんなことはお構いなしに「ゲーム機を買ってあげたい」という理由で毎月の生活費とは別に2万円を、「携帯を持たせてやりたい」という理由で同じく1万円を請求してきたり、「月末まで」という約束だったのに「今月は厳しい」という理由で20日までに振り込むよう言い出したり、妻は裕司さんの気持ちを逆なでするような言動を繰り返してきたのです。
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