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「バチェラー」司会・坂東工 俳優、アーティスト、起業家…経歴多彩な男の“素顔”とは

「3・11」機に、本格的にアート制作

Q.日本に戻ってからは、どのように過ごしたのでしょうか。

坂東「俳優事務所に所属しましたが、初めての仕事はエキストラでした。収入も20分の1ほどになりました。それなりにキャリアを積んできたつもりだったんですけどね(笑)3年くらい頑張って、ドラマや映画に出演できるようになりましたが、実は『硫黄島からの手紙』のシーンで本当に死んでしまったような感覚になって、言語障害になっていたんです。無理して仕事をしていたので、心が枯渇しているようでした」

Q.アーティスト活動は、その頃からでしょうか。

坂東「趣味で作っていたレザーを付けて、ある日ギャラリーに入ったら、そこのオーナーの目に留まって、アーティストとして誘われたんです。後日、いきなり、渋谷の百貨店に僕の作品が並ぶことになりましたが、2011年3月3日にオープンして、1週間後に『3・11』が起こったんです。

被災地にボランティアに行きました。その時、怒りなのか悲しみなのか分かりませんが、バッと湧き上がる衝動があって、本格的にアート作品を作り始めることにしたんです」

Q.映画やドラマの衣装制作は、そのタイミングということですね。

坂東「そのオーナーさんからの勧めもあり、初めて個展を開きました。ネームバリューもない僕の個展に2000人ほど来場してくれたのですが、その中に黒澤和子さんという、大河ドラマや『万引き家族』などを手掛けた衣装デザイナーの方もいらっしゃって、仕事を頂けるという話になったんです。

数年後、黒澤さんからデザイン画を見せられて制作を依頼されました。小物を作ったことはあっても、服は作ったことはなかったので、YouTubeなどで調べましたが(笑)それが『真田十勇士』でした。その後も『西郷どん』の渡辺謙さんの衣装を任せてもらいました」

Q.「バチェラー・ジャパン」出演のきっかけは。

坂東「知り合いのキャスティングディレクターから、オーディションを受けてみないかと誘われたんです。僕は初めてのことが大好きなので、燃えるんですよね。進行役がすごく有名な人だと悪目立ちしてしまうので、僕くらいがちょうどよかったんだと思います(笑)」

Q.2018年末には会社を起業されました。その背景は。

坂東「知り合いのアート仲間には共通の悩みがあって、それは作品のPRの仕方が分からないということ。誰も口には出さないけど、みんな売れたいと思っているんです。承認欲求が絶対にあるんです。『PRの仕方が分からない』『売れたい』『世界に向けて自分のアートを発信したい』というアーティストの悩みや願いを解決するために起業しました。

世界のどこからでも作品を閲覧できる『iiwii(イーウィー)』というオンラインギャラリーを立ち上げました。こういうサービスは他にもあるんですが、アーティストへのリスペクトがない。われわれがムーブメントを起こしていくつもりです。自分の存在を発表していく場所はいくらでもありますし、ないのであれば作ればいいんです」

Q.今後は俳優業よりもアーティスト活動に注力されるのですか。

坂東「そういうわけではないんです。一番のプライオリティーは何かと疑問に思われるかもしれませんが、僕にはそういう感覚がないんです。だって、僕自身がしていることなんですから。演技もアートもキュレーションもやりたいからやっている。肩書なんて要らないんです。あとは体は一つなので、スケジュール管理だけですね(笑)」

(オトナンサー編集部)

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