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「何でもしてくれる」は「ケア」とはいえない…高齢者の《ケア付き住宅》に“本当に必要”な要素は3つあった

高齢者の「ケア付き住宅」における「ケア」は何を指すのか……高齢者研究を行う筆者が見つめる本当の意味での「ケア付き住宅」には、欠かせない3つの要素がありました。

高齢者の「ケア付き住宅」の「ケア」に望まれるものとは…
高齢者の「ケア付き住宅」の「ケア」に望まれるものとは…

「ケア付き住宅」という言葉を聞くと、多くの人は、介護や看護の専門資格を持っている人が常駐していて、手厚いサービスが施されている住まいを思い浮かべると思います。実際、“看護師常駐”を売りにしている集合住宅がありますし、高齢者住宅の検討者の中にはそのような住宅が「何かあったときに安心」といった声があるのも事実です。

 しかし、考えなければならないのは、「『手厚いサービス』『何でもしてくれる』のが果たして“ケア”なのか」ということであると、高齢期のライフスタイルの研究を行う筆者は思います。ケアとは本来、自立を支援することであり、介護保険法の第1条にも、「(要介護状態になっても)尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」という記述があります。

「ケア」と「コントロール」は違う

 臨床心理学者の河合隼雄氏は、カウンセリングについて「何もしないことに全力を尽くす」ことが重要であると述べられましたが、ケアにも同じことが言えるでしょう。何でもやってあげるのではなく、信じて見守り、待ち、本人が必要としたときに必要なだけの支援をする――。それは自立を助け、尊厳を守ることにもなる。全力で相手のことを考え続け、ギリギリまで「何もしない」。それが本来のケアの姿勢です。

 このような観点からは、至れり尽くせりのサービスが提供され、本人がやれることまで代わりに何でもやってくれるような住まいは、「ケア付き」とはいえません。「安全のため」にそこにいる人たちの意思決定や主体的行動の機会を奪う行為は、「ケア」ではなく「管理」です。自由に行動すると危ないからという理由で、さまざまなルールが設けられて行動が制限され、管理者の目の行き届く範囲で生活するというのは、ケアではなくコントロールでしかありません。

 似たように見えますが、ケアとは「見守り、待つこと」であり、コントロールは「介入し、指示すること」です。また、ケアは「相手が中心」であり、相手を主語にして考える一方、コントロールは「自分が中心」であり、自分の安心のために行われるものです。さらに言えば、ケアとは「自分を制御する」ことであり、コントロールとは「相手を制御する」わけで、まったく違うことがよく分かると思います。

「ケア付き住宅」にあるべき3つの要素

 本来の「ケア付き住宅」とは、次の3つの要素を備える必要があります。

 1つ目は「選択肢」。暮らしのさまざまな場面において、自分の意思で選べる環境であることです。

 例えば、食堂で食べる時間やメニューが決まっていて、選ぶ余地がないなら、それは管理されているのと同じです。外出に許可が必要など、禁止されている事柄が多い環境では、そこにいる人たちに意思表明や主体的行動を期待するのは難しく、自立を支援することにはなりません。選択肢がない状態は、その人の依存度を高めます。選択肢は主体性の源泉といえます。

 2つ目は「機会と交流」。高齢者に限りませんが、能力を発揮するには、それなりの「場」が必要です。サークル活動やイベントなどさまざまな機会があるから、それぞれの能力を発揮できるし、人々の交流があるから役割や居場所が生まれてきます(これらの機会が施設側による強制参加のようなものではないのは、言うまでもなく重要です)。

 そしてその延長に、互助関係が発生します。情報の交換・共有、見守り合い、助け合い、励まし合い、喜び合うといった相互ケア、コミュニティーによるケアが日常的になり、これはそこにいる人たちの生きがいにつながります。

 3つ目は「何もしないことに全力を尽くす」という姿勢のスタッフ。意味は先述の通りですが、その実践は容易ではありません。何でもかんでも手を出してしまう方が、楽だからです。

 例えば、スムーズな歩行が難しい人がいたとして、その人が自分の足だけで何とか歩こうとしているところをハラハラしながら見守り、励ますよりも、車いすに乗っけてしまう方が時間もかからず効率的ですし、気持ちも楽で、危険もありません。だからつい、楽な方を選んでしまいます。

 また、「何もしない」ためには、本人のことをよく知らなければなりません。どこが弱っていて、どんな問題を抱えているか。あるいはどのような強みがあり、どんな暮らしを望んでいるか。これらを知らないまま「何もしない」のは単なる放置に過ぎません。「知っている」から、手を出さずに見守ることができるわけです。逆に言えば、何でもやってしまうのは、本人の状態や意向を知らないから。本人に関する情報不足や無知が、画一的で過剰な手助けにつながっているのだと思います。

 日本は世界で最も高齢化率の高い国ですが、このように「ケア」という言葉だけをとってもその意識や理解は十分とはいえません。高齢者住宅が、高齢者の尊厳を守りながら自立支援を行う場として十分に機能していないのも、その結果でしょう。高齢者住宅はこれからも増え、検討する人も多いと思いますが、本当の意味の「ケア付き住宅」が広がっていくことを期待します。

(NPO法人・老いの工学研究所 理事長 川口雅裕)

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川口雅裕(かわぐち・まさひろ)

NPO法人「老いの工学研究所」理事長、一般社団法人「人と組織の活性化研究会」理事

1964年生まれ。京都大学教育学部卒。リクルートグループで人事部門を中心にキャリアを積む。退社後、2012年より高齢者・高齢社会に関する研究活動を開始。高齢社会に関する講演や執筆活動を行うほか、新聞・テレビなどのメディアにも多数取り上げられている。著書に「年寄りは集まって住め ~幸福長寿の新・方程式」(幻冬舎)、「だから社員が育たない」(労働調査会)、「チームづくりのマネジメント再入門」(メディカ出版)、「速習! 看護管理者のためのフレームワーク思考53」(メディカ出版)、「なりたい老人になろう~65歳から楽しい年のとり方」(Kindle版)、「なが生きしたけりゃ 居場所が9割」(みらいパブリッシング)、「老い上手」(PHP出版)など。老いの工学研究所(https://www.oikohken.or.jp/)。

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