オトナンサー|オトナの教養エンタメバラエティー

【戦国武将に学ぶ】結城秀康~家康の次男であり秀吉の養子、将軍にはなれず~

戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。

結城秀康像(福井市、2019年8月、時事)
結城秀康像(福井市、2019年8月、時事)

 結城秀康は、徳川家康の次男なので、長男信康が自害させられた後、普通ならば家康の後継者となり、2代将軍になってもおかしくない人物です。しかし、そうはならず、弟の秀忠が家督を継ぎ、将軍にもなっています。秀康が父家康に嫌われていたとの見方もあるほどです。

 というのは、生まれた場所が、当時の家康の居城浜松城(浜松市中区)ではなく、城からかなり離れた宇布見村(浜松市西区雄踏町)の豪農の屋敷だったからです。母は「於万(おまん)の方」といい、家康の正室築山殿の侍女だったのに懐妊したということで、家康は築山殿の嫉妬が怖く、城外で出産させたとの説があります。しかしその頃、築山殿は岡崎(愛知県岡崎市)にいましたので、嫉妬を心配したのではなく、家康はその子が本当に自分の子なのか、疑っていたともいわれています。

豊臣一族の扱いに

 一説には、生まれたときの顔つきが、ナマズの仲間の「義義(ギギ)」という魚に似ていたということで、家康が幼名として「義義」と付けたといわれていて、まわりが「それではかわいそう」と、於義丸(おぎまる)と呼ぶようになったともいいます。

 於義丸の人生が大きく変わったのは、1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いの後です。周知のように、小牧・長久手の戦いというのは、家康・織田信雄連合軍対秀吉の戦いで、局地戦では家康が勝ちましたが、秀吉の優勢勝ちという形で講和が結ばれ、そのとき、家康が秀吉に人質として出したのが於義丸でした。

 秀吉は、家康の歓心を買おうとしたのでしょう。「人質ではなく、養子にします」と於義丸を養子にしました。養子といっても、将来、家督を譲ろうなどと考えていたわけではなく、形だけの養子といっていいと思います。ただ、この件について最近、「家康は秀吉に降伏したわけではないので、あくまで、対等の立場を示すため、養子として差し出した」とする研究も生まれています。

 いずれにせよ、於義丸元服のとき、秀吉は自分の一字を与え、家康の一字と合体させて、秀康と名乗らせました。しかも、秀吉から、河内で2万石の所領を与えられ、豊臣一族大名の扱いを受けているのです。家康としては、「秀康は豊臣の人間になってしまった」との思いがあったかもしれません。

「徳川本隊を率いたい」願いかなわず

 家康がそのような思いでいたところに、もう一つ問題が持ち上がります。1590年8月、秀吉から、「秀康を(現在の茨城県結城市の大名)結城晴朝の養子に出したいが、いいか」と打診されたのです。普通ならばというか、秀康に愛情を持っていれば、小さな10万石程度の大名の養子にさせられるくらいなら断り、徳川の人間に戻すよう働き掛けるところですが、家康はその申し出に応じています。その結果、秀康は家康の子でありながら、10万1000石の結城家を継ぐことになりました。

 その時点では、家康は自分の手元で育て、帝王学も教えこんできた三男の秀忠を後継者に考えていたのでしょう。秀康がそこに割りこむ余地はなかったかもしれません。秀康としては、そうした流れに複雑な思いを抱いていたものと思われます。

 そのことを物語るエピソードがあります。1600(慶長5)年の関ケ原の戦いのとき、家康が「徳川本隊3万8000は秀忠が率いる」とし、秀康に「上杉の備えとして宇都宮に残れ」と命令したとき、秀康もさすがに耐えかねたのか、「徳川本隊を率いさせてほしい」と抗議しました。しかし、家康から、「上杉は謙信入道より以来、弓矢取りて天下に並ぶものなし。その上杉軍を防ぐのはお前しかいない」と説得されたのです。

 家康としては、秀康が戦で手柄を立てるようなことになれば、家臣たちの中から「秀康待望論」が生まれてくるのでは、と警戒したものと思われます。もし、秀康が徳川本隊を率いていれば、秀忠のような関ケ原遅参という失態は犯さなかったかもしれません。

 結局、秀康は関ケ原後、越前など75万石を与えられましたが、1607年、父家康よりも早く、病没しました。将軍に就くことなく、一大名として一生を終えたのです。

(静岡大学名誉教授 小和田哲男)

【写真】結城秀康ゆかりの「福井」

画像ギャラリー

小和田哲男(おわだ・てつお)

静岡大学名誉教授

1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に「戦国の合戦」「戦国の城」「戦国の群像」(以上、学研新書)「東海の戦国史」「戦国史を歩んだ道」「今川義元」(以上、ミネルヴァ書房)など。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」、NHK・Eテレ「知恵泉」などに出演。NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」「どうする家康」の時代考証を担当している。オフィシャルサイト(https://office-owada.com/)、YouTube「戦国・小和田チャンネル」(https://www.youtube.com/channel/UCtWUBIHLD0oJ7gzmPJgpWfg/)。

コメント