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大ヒット商品から、子ども向け駄菓子へ 昭和っ子を魅了した「粉末ジュース」の世界

1960~70年代のお菓子やおもちゃ、キッズカルチャーなどの話題をテーマに取材、執筆活動を行う筆者が、昔懐かしい駄菓子の世界を紹介します。

1970年代に日邦製菓から発売されたニッポー印の粉末ジュース。「シャンペンソーダ」「アメリカンコーラ」は近年まで、昔ながらの味で親しまれたが、数年前に製造終了となった
1970年代に日邦製菓から発売されたニッポー印の粉末ジュース。「シャンペンソーダ」「アメリカンコーラ」は近年まで、昔ながらの味で親しまれたが、数年前に製造終了となった

「渡辺のジュースの素」という商品をご存じでしょうか。昭和30年代を代表する大ヒット商品の一つです。「ジュースの素」とは、いわゆる粉末ジュース。粉を水に溶かすと、ジュースが出来上がるというものです。このジャンルの商品は昭和30年代から40年代初頭にかけて広く親しまれ、渡辺製菓の「渡辺のジュースの素」以外にも、春日井製菓の「シトロンソーダ」、日本フードの「ソーダラップ」など多くのヒット商品が生まれました。各家庭に常備される商品であり、市場も相当大きく、さまざまなメーカーが参入していました。

消えてしまったヒット商品たち

 ところが昭和40年代半ばになると、活況を呈していた粉末ジュース市場はうそのように消えてしまいます。粉末ジュースに使用されていた安価な甘味料(特にチクロ)が人体に悪影響を与えると指摘され、一気に消費者離れが起こったのです。その後、各社は甘味料をサッカリンに替えて製造を続けましたが、「体に悪いらしい」というイメージは払拭(ふっしょく)できませんでした。

 筆者は1967(昭和42)年生まれですが、幼少期のスーパーには、粉末ジュースの売り場がまだ辛うじて残っていたのを覚えています。幼稚園に通っていた頃までは、「家庭で粉末ジュースを楽しむ」という習慣が多少は残っていたのでしょう。その頃に飲んだ粉末のメロンソーダの独特の味は、今でもよく覚えています。粉末ジュースには粉末ならではの独特の味わいがあって、いかにも人工的な風味なのですが、そのちょっとチープな感じが、なんとも魅力的でした。

子どもたちの駄菓子として人気に

早くから、粉末ジュースを手掛けていた松山製菓が1961年に発売したフルーツジュースのシリーズ「パックジュース」。オレンジ、メロン、イチゴ、グレープ、パインの5種
早くから、粉末ジュースを手掛けていた松山製菓が1961年に発売したフルーツジュースのシリーズ「パックジュース」。オレンジ、メロン、イチゴ、グレープ、パインの5種

 粉末ジュースは一般の食品市場からは消えましたが、完全に絶滅したわけではありませんでした。昭和40年代半ば以降は駄菓子として流通するようになったのです。かつてはスーパーなどで、10杯分が50~100円という価格で売られていましたが、駄菓子屋さんで1杯分の小袋入りが10円程度で売られるようになったわけです。チクロ問題で家庭の主婦からは敬遠される商品になってしまいましたが、子どもはまた別です。子どもたちがお小遣いで買える商品として、新たな活路を見いだしたのでしょう。

 筆者世代は、この駄菓子屋さんの小袋入り粉末ジュースの全盛期に子ども時代を過ごしました。さまざまなメーカーのものがありましたが、有名だったのは日邦製菓の「アメリカンコーラ」と「シャンペンサイダー」。また、老舗・松山製菓の「パックジュース」シリーズ、「アメリカンコーラ」「フレッシュソーダ」も定番中の定番でした。残念ながら、ニッポー製菓は粉末ジュースの製造をやめてしまいましたが、松山製菓の商品は現在でも売られています。

昭和っ子たちの「粉末ジュース」の楽しみ方

こちらも、松山製菓から1961年に発売された「アメリカンコーラ」「フレッシュソーダ」。粉末ジュースならではのシュワシュワ感が堪能できる
こちらも、松山製菓から1961年に発売された「アメリカンコーラ」「フレッシュソーダ」。粉末ジュースならではのシュワシュワ感が堪能できる

 家庭用の粉末ジュースはまず、コップに粉を入れ、そこに規定量の水を注いで作ります。しかし、駄菓子屋さんの小袋入り粉末ジュースを買った子どもたちは、誰もそんな“正しい飲み方”をしませんでした。そもそも、当時の子どもたちは、買った駄菓子を家に持ち帰るなんてことはしません。たいていは駄菓子屋さんの店先や公園などでたむろしながら楽しみました。

 粉末ジュースも同様で、袋の口を切って、そこに公園の水道の水を直接注いで飲んでいました。水の量が足りないのでドロドロの状態、しかも、シュワシュワとした炭酸の泡がすごい勢いで袋からあふれてきます。それを慌てて口に流し込むなどしていました。中には、まず、粉を口に含んで、その後で水をガブ飲みする無謀な子もいました。これをやると、口の中で炭酸が急激に泡立つので、慣れないとゲホゲホとむせることになります。

 当時の筆者たちにとっての粉末ジュースは、喉の渇きを癒やすとか、味を楽しむとかいうものではなく、飲む行為自体が一つの遊びとして楽しめるような商品でした。2種類の粉を混ぜてみたり、飲みかけの「コカ・コーラ」の瓶の中に粉末の「アメリカンコーラ」を入れてみたり(これをやると猛烈に泡が噴き出てきます)、理科の実験をやっているような楽しさがありました。

 駄菓子市場が縮小している中、やはり、粉末ジュースも苦境を強いられているようです。現在は先述の松山製菓だけが昔ながらの小袋入り商品を製造していますが、これが消えてしまうとほぼ絶滅状態。そんなことにならないよう、お店で見かけたらたまには手に取ってみてはいかがでしょう。昭和世代には懐かしく、今の子どもたちには未知の楽しさが味わえると思います。

(昭和レトロ系ライター 初見健一)

初見健一(はつみ・けんいち)

昭和レトロ系ライター

1967年、東京生まれ。主に1960~70年代のお菓子やおもちゃ、キッズカルチャーについての話題をテーマに取材、執筆活動を行う。東京新聞・中日新聞サンデー版に「初見健一のこれなんだっけ?」、「月刊ムー」に「昭和こどもオカルト回顧録」などを連載中。主な著書に文庫「まだある。」シリーズのほか、「まだある。こども歳時記」「ぼくらの昭和オカルト大百科」「昭和こども図書館」「昭和こどもゴールデン映画劇場」(以上、大空出版)、「昭和ちびっこ未来画報」「昭和ちびっこ怪奇画報」(以上、青幻舎)など。

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