オトナンサー|オトナの教養エンタメバラエティー

【戦国武将に学ぶ】本多忠勝~本能寺の変後、家康の命を救った諫言〜

戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。

愛知県岡崎市にある本多忠勝像
愛知県岡崎市にある本多忠勝像

 本多忠勝は徳川家康の武功派家臣のベスト4、すなわち、「徳川四天王」の一人として知られています。1548(天文17)年、松平広忠(家康の父)の家臣、本多忠高の子として生まれましたが、その翌年、父・忠高が尾張の織田信秀との戦いで討ち死にし、父の弟、叔父にあたる本多忠真に養育されることになります。

五十数回の戦いで一度もけがせず

 初陣は1560(永禄3)年の桶狭間の戦いのときですので、13歳という、当時としても通常より早い初陣となります。その直前に元服したのかもしれません。通称は平八郎で、これは祖父、および、父も名乗っていたものですので、継承したことが分かります。

 以来、家康のほとんどの戦いに出陣。生涯、五十数回の戦いに臨み、一度もけがをしなかったといわれています。戦歴の中でも有名なのが1572(元亀3)年の「三方原(みかたがはら)の戦い」の前哨戦、遠江の「三箇野川(みかのがわ)の戦い」とそれに引き続く、「一言坂(ひとことざか)の戦い」です。

 城から偵察に出た徳川軍が武田軍に追撃されたのですが、その際、本多忠勝が殿(しんがり)として、名槍(めいそう)の「蜻蛉切(とんぼぎり)」を振り回し、武田軍の攻撃を防いだのです。敵方の武田の兵が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐(から)の頭(かしら)に本多平八」と言いはやしたといわれています。ちなみに「唐の頭」というのは当時、家康が愛用していたかぶとに、舶来品で貴重なヤクの尾毛があしらわれていたことを指します。

 その後も、1575(天正3)年の長篠・設楽原(したらがはら)の戦いや、武田方に取られた高天神城を奪回する戦いにも加わり、戦功を挙げています。

冷静さ失った家康に…

 このように見てくると、武闘一点ばりの武将といった印象を受けるかもしれませんが、もう一つ、家康の側近としての役割も果たしていたのです。

 1582(天正10)年6月2日、本能寺の変が起きたとき、家康はわずか20人ほどの家臣を連れて堺遊覧に出掛けており、その20人の中に忠勝も入っていました。家康一行が堺から京都に戻る途中、京都の豪商、茶屋四郎次郎が本能寺の変の第一報を知らせてきました。このとき、家康はショックのあまり、いつもの冷静さを失い、「京都に戻り、明智光秀の軍勢と戦って切り死にする」と言いだしたのです。

 そのとき、忠勝が「ここは一度、三河に戻り、態勢を整えてから明智を討ちに出るのが得策」と家康をいさめました。この忠勝の冷静な判断に家康も納得し、近江の甲賀(こうか)、さらに伊賀・伊勢を通って、三河に戻ることができました。このときもし、そのまま、わずかな手勢で京都に突っ込んでいれば、その後の家康はなかったと思われますので、的確な判断だったといってよいでしょう。

 その2年後の1584年、明智光秀、さらに柴田勝家を討って織田政権簒奪(さんだつ)に動きだした羽柴秀吉と家康との「小牧・長久手の戦い」が起こります。この戦いでも、忠勝はわずか3000の兵で数万の大軍を迎え撃つという離れ業を演じ、これによって、秀吉にも名を知られる存在となりました。

 結局、その後、家康は秀吉に臣従する形となり、1590年の秀吉による小田原攻め後の論功行賞で、家康に北条氏の遺領が与えられます。そのとき、忠勝には上総大多喜(おおたき)城(千葉県大多喜町)で10万石が与えられています。同じ徳川四天王の一人、井伊直政が12万石、榊原康政が同じ10万石ですので、石高からいえば徳川家臣団ナンバー2になった形です。

 ただ、その後、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いにも出陣していますが、これといった手柄は立てていません。戦乱の世で家康が勢力を拡大していく時期、ともに合戦に明け暮れた頃が忠勝の最も輝いた時代といえるのではないでしょうか。

(静岡大学名誉教授 小和田哲男)

【写真】本多忠勝ゆかりの「岡崎市」「名古屋市」

画像ギャラリー

小和田哲男(おわだ・てつお)

静岡大学名誉教授

1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に「戦国の合戦」「戦国の城」「戦国の群像」(以上、学研新書)「東海の戦国史」「戦国史を歩んだ道」「今川義元」(以上、ミネルヴァ書房)など。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」、NHK・Eテレ「知恵泉」などに出演。NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」の時代考証を担当している。オフィシャルサイト(https://office-owada.com/)、YouTube「戦国・小和田チャンネル」(https://www.youtube.com/channel/UCtWUBIHLD0oJ7gzmPJgpWfg/)。

コメント