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政治家の「全責任は私にある」は追及をかわせる“魔法の言葉”では?

政治家が記者会見で「全責任は私にある」と発言すると、マスコミの追及が弱まり、問題がうやむやになると感じます。「全責任は私にある」は追及をかわすための“魔法の言葉”なのでしょうか。

安倍晋三前首相(2021年4月、時事)
安倍晋三前首相(2021年4月、時事)

 何らかの問題が発生して、マスコミなどから追及されているとき、政治家から聞くのが「全責任は私にある」という言葉です。首相在任中の安倍晋三氏がよく使っていましたが、この言葉の意味をそのまま受け取ると、言い訳をせず、すべての責任を認めるという、潔い態度として好感を持てます。

 しかし、多くの場合、「責任があることは認める」と言うものの、これまで何らかの責任を取った政治家はほとんどおらず、しかも、この言葉を発したことで、マスコミなどの追及が弱まり、問題がうやむやになっているようにも感じます。

 記者会見や取材での「全責任は私にある」は追及をかわすための“魔法の言葉”なのでしょうか。広報コンサルタントの山口明雄さんに聞きました。

問題は責任をどう取るか

Q.何らかの問題を追及されているとき、政治家が記者会見や取材対応で「全責任は私にある」と発言することは本来であれば、広報的にどのような意味があるのでしょうか。

山口さん「広報的な本来の意味は『この件に関する政治的責任は全て、自分にあることを認め、自分が責任を取る』ということです。何らかの問題が起きて、それを認める記者会見をするときは、責任の所在を明らかにした上で、問題が発生した経緯や原因、謝罪、再発防止に向けた姿勢を示すのが基本ですが、政治家の場合は、責任の所在を明らかにしただけで終わっていることがほとんどのように思います。

例えば、安倍晋三氏は首相在任中、不祥事や失言が原因で閣僚が辞任するときによく、『任命責任は自分にある』と発言しました。毎日新聞の報道によると、安倍氏は2012年12月から2019年10月の間に、国会の33の本会議や委員会で合計49回、『もとより任命責任は総理大臣たる私にある』というような発言をしたそうです。しかし、国民の多くは安倍氏は任命責任があると認めたけれど、どのような形で責任を取ってきたのかと疑わしく思っていると思います」

Q.これまで、何らかの問題を追及されている政治家が「全責任は私にある」と言うと、マスコミなどの追及が弱まり、問題がうやむやになっているように感じます。記者会見や取材での「全責任は私にある」は追及をかわすための魔法の言葉なのでしょうか。

山口さん「政治家が『全責任は私にある』と話すと、マスコミなどの追及が弱まるようだと、私も感じています。そのため、政治家の『全責任は私にある』という発言がマスコミの追及をかわすための魔法の言葉として、効果を発揮しているというのは残念ながら事実だと思います。

現場の記者は『責任を認めたのだから、これ以上厳しく追及しなくてもよいのではないか』という意識が脳裏をよぎるのでしょうか。しかし、国民の知りたいことは、政治家が自分にあると認めた責任をどのような形で取るのかということです。記者は責任を認めただけでは追及の手を緩めず、どのような形で責任を取るのか、記者会見や取材の場で問いただすべきだと思います。

実は『全責任は私にある』以外にも、追及逃れのために政治家が愛用し、効果を発揮してきた言葉はこれまでに幾つもあります。例えば、謝罪をしているように見せかけるだけで謝罪の意味はない『遺憾であります』、回答を体裁よく拒否するための『仮定の質問には答えられません』などです。

政治家の大切な仕事の一つは、将来起こるかもしれない危機の予測と対応力です。記者会見や取材などで仮定の質問に答えられない人は、政治家であるとは私には思えません。例えば、菅義偉首相は記者会見において、『緊急事態宣言下でもオリンピックは実施するのですか?』という記者の再三の質問に明確な回答で答えていません」

Q.政治家の記者会見の形式で、記者の追及をしづらくしていることはあるのですか。

山口さん「最大の問題は『一問一答』の質疑応答形式だと思います。『多くの記者の皆さまに質問の機会を持っていただくため、記者1人につき一問一答とさせていただきます』と記者会見の司会者は宣言します。

まっとうなルールのように聞こえますが、記者にとっても国民にとっても不条理なルールです。なぜなら、例えば、話し手が『全責任は私にあります』と回答した場合、ルールに従えば、追加で質問はできません。国民が知りたいことはどのような形で責任を取るのかという点ですが、この点を追及する機会は阻まれるのです。

他にも、記者の追及をしづらくしている点は数多くあります。テレビで首相や政治家の会見を見る限り、同様の質問に対する話し手のいら立ちや投げやりな態度、そして、記者に対する不当な注文です。

例えば、菅首相は5月27日の短い記者会見で、発出中の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の延長について聞かれた7つの質問の全てに『専門家に意見を伺った上で判断したい』と判で押したような回答をしました。記者は、現時点で首相はどのように考えているかという点を聞いたのだと思います。国民が知りたいのもその点です。

また、公選法違反が確定して、参院選当選が無効になった河井案里氏の陣営に自民党本部が支出した1億5000万円の選挙資金について、5月18日に行われた自民幹部の記者会見で、林幹雄幹事長代理は二階俊博幹事長の発言を遮るようにして、『根掘り葉掘り、党の内部のことまで踏み込まないでほしい』と記者に注文を付けました。問題の選挙資金の大部分は国民の税金だと思われます。異常な大金の支出指示を誰が出したかは自民党内部だけの問題ではなく、国民が知るべき問題です」

Q.広報的に「責任がある」と認める場合、認める以外にもどのようなことを情報発信しないといけないのでしょうか。

山口さん「『責任がある』と認めても『責任を取る』ことがなければ意味がありません。責任の取り方はケース・バイ・ケースですが、あらゆる責任の取り方の第一歩は、認めた責任とはどのようなものかを正しく国民に説明することだと思います。そして、先述したように、問題が発生した経緯や原因、謝罪、再発防止に向けた姿勢、できれば、具体的な再発防止策まで説明することではないでしょうか」

Q.記者会見などで、政治家が「全責任は私にある」と話した後、それを聞いた私たちは発言した政治家の何に注目して見ていけばよいでしょうか。

山口さん「責任を認めた政治家に対しては、その責任をどのように説明し、どのような形で取ったか、それとも取っていないかという点に注目すべきです。1985年の国会法改正に伴い、衆議院と参議院でそれぞれ議決された『政治倫理綱領』の第4項には『われわれは、政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯(しんし)な態度をもつて疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならない』とあります。

政治家の責任の取り方は謝罪して、辞任することだけではありません。ましてや、単に『責任を認める』と言うだけでもありません。政治倫理綱領にある通り、自らの真摯な態度で疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならないのです。私たちはこの点をしっかりと注目していくべきだと思います」

(オトナンサー編集部)

山口明雄(やまぐち・あきお)

広報コンサルタント

東京外国語大学を卒業後、NHKに入局。日本マクドネル・ダグラスで広報・宣伝マネージャーを務め、ヒル・アンド・ノウルトン・ジャパンで日本支社長、オズマピーアールで取締役副社長を務める。現在はアクセスイーストで国内外の企業に広報サービスを提供している。専門は、企業の不祥事・事故・事件の対応と、発生に伴う謝罪会見などのメディア対応、企業PR記者会見など。アクセスイースト(http://www.accesseast.jp/)。

コメント

1件のコメント

  1. かなり多くの人々が気づいている事でも、それを誰かが明瞭な言葉で広く知らせなければ共通の知恵にはなりません。その意味でこの記事は大きな価値が有ります。ただし、一回公表したからそれで努めは果たせたと考え、それっきりになってはこまります。繰り返しになっても、重要な見解は繰り返し繰り返し、手を変え品を変え人々の注意を喚起していただきたいと強く願います。