東京で感染爆発がなかったのは日本の「滅私奉公」精神の故か
新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が解除されました。感染拡大をいったんは抑えられたのは、日本人に「滅私奉公」の精神が根付いていたからでしょうか。
新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が5月25日、全て解除されました。感染者の増加が止まらなかった3月下旬から4月上旬には、「東京もあと数週間後には、ニューヨークのように感染爆発や医療崩壊が起きる」と言われたものです。
しかし、この頃から、「要請」ベースであっても週末や夜間の外出を自粛する人、収益が下がることを承知で時短営業や営業自粛を行う店舗が現れ、多くの人が社会のために我慢したことで、感染拡大の勢いをいったんは抑えられています。
こうした、日本に昔から根付いている「滅私奉公(めっしほうこう)」の精神が、東京をニューヨークのようにしなかったと言えるのでしょうか。和文化研究家で日本礼法教授の齊木由香さんに聞きました。
古代中国の「戦国策」が出典
Q.そもそも、「滅私奉公」とはどのような意味ですか。
齊木さん「滅私奉公には、『公のために私心を捨てて尽くす』という意味があります。『滅私』は自分の私利私欲を除き去る、つまり、個人の利害を考えないという意味で使われます。『奉公』とは、雇い主のために働くことや、国など公のために身を尽くすことを指す言葉です。
要するに、私心や私情を抑えて、国家・地方公共団体・社会や世間に対して奉仕する精神を意味します」
Q.「滅私奉公は日本人の美徳」と言われていますが、なぜ、こうした精神が日本人に根付いたのですか。
齊木さん「もともと、滅私奉公は古代中国の『戦国策(せんごくさく)』という書物が出典とされ、『一時的に私心を捨て去り、より大きな範囲で物事を見ることによって全体として大きな成果を得る』という心得を説いた言葉といわれます。それが日本に伝来し、広がっていきました。
武家社会においては『自分の命を捨ててでも、主人のために尽くす』ことが美しい生き方として推奨され、日本人の心に根付いていきました。現代でも、命こそ捨てないものの、私心を捨てて公に尽くすという精神は続いているのです。なお、滅私奉公はあくまで、個人の意志で自発的に行うものです。誰かに押し付けられて行うものではありません」
Q.滅私奉公の精神が日本人にあったため、東京をニューヨークのようにしなかったと言えるでしょうか。
齊木さん「多少は『同調圧力』の影響があったかもしれませんが、滅私奉公の精神が日本人に根付いていたからこそ、東京における感染被害がニューヨークのようにならなかったと思います。社会に奉仕する思想に加え、滅私奉公の一部ともいえる日本古来の『社会や人さまに迷惑をかけてはならない』との価値観が大きな要因ではないでしょうか。
この価値観に基づけば、『ウイルスに感染すること』も『ウイルスを人にうつすこと』も社会にとっての迷惑であり、そうならないように細心の注意をすることは、人ごとではなく自分の責任になります。この価値観があればこそ、『企業も個人も、社会や人さまに迷惑をかけないために自分たちの行動を変える』ことができたのではないでしょうか。
結果として、東京の大多数の人は自分の責任を意識して、行動を自粛したように思います。これは、新型コロナの感染者が数人という地方でも同様だったと思われます」
Q.一方で、「個」を重視する風潮が強まっている現在、滅私奉公の精神はネガティブに捉えられることが多いです。滅私奉公の精神は今後も必要でしょうか。
齊木さん「滅私奉公の精神は、今後も必要だと思います。現代において、滅私奉公という言葉は、人によってさまざまなイメージがあるようです。滅私奉公を単なる自己犠牲と捉えてしまうと、『個』とは相いれぬものと誤解してしまうかもしれません。
しかし、滅私奉公は『自分の私利私欲はいったんおいて、社会における自らの役割を受け入れ、責任を全うする』と自らの意志で判断し、行動することなのです。
欧米からは、やゆ交じりに『日本は中途半端な対応』との声もありましたが、最大級の効果があったのは、やはりこの精神にのっとり、一人一人が責任感を持って行動し、感染拡大を防いだからだと思います。今後も、日本において国民が一つになって取り組まなければならない局面において、この精神は大きな役割を果たすと考えます」
Q.滅私奉公と個について、どのようにしてバランスを取れば、うまく共存できると思われますか。
齊木さん「『志』を持つことです。『この領域で社会の役に立ちたい』といった思いを持つと、個は『志』の実現に向けて努力し、社会や人の役に立ち(奉公)、自分自身の充実感も得られます。
ある製薬会社の人から聞いた話ですが、その会社は他社に先駆けて2月から、営業も含め在宅勤務を徹底しました。理由の一つは社員を守るため。そして、もう一つは、病院への営業による医療従事者への感染リスクを避けるためです。
社内で『売り上げが維持できない』との声もあったようですが、『人々の命を守ることを志とするわれわれが、医療従事者を危険にさらし、社会に迷惑をかけてはならない』と判断し、社員は『これほど会社を誇りに感じたことはない』と奮起したそうです。個人と企業との違いはありますが、滅私奉公と個を両立した例ではないでしょうか。
時代遅れとされがちな滅私奉公の精神や、『社会や人さまに迷惑をかけてはならない』との価値観が国内での感染拡大防止に寄与したとすれば、今回の大きな学びだったと思います。滅私奉公の精神は古くて新しい、そして、世界に誇るべき日本人の美徳ではないでしょうか」
(オトナンサー編集部)
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