「中立」「公平」な放送とは何か いま問われるキャスターの矜持【後編】
元地方局アナウンサーで、現在は大学でマスコミュニケーション論の教鞭をとる筆者が、テレビニュースで重要な役割を担う「キャスター」について論じます。今回はその後編です。
ニュースのありようや、キャスターの役割を考えるのにふさわしい本が、2017年1月に刊行されました。NHK「クローズアップ現代」でキャスターを務めた国谷裕子さんが書かれた「キャスターという仕事」(岩波書店)です。国谷さんはキャスターを23年間務め、落ち着いた番組進行と、毅然とした物言いで多くの人に好感を持たれていました。
この本でも触れられていますが、国谷さんは2014年7月3日放送の同番組「集団的自衛権 菅官房長官に問う」で自民党の菅義偉官房長官に対して、憲法解釈変更と集団的自衛権の限定的行使について、屈することなく執拗に食い下がりました。私自身、あの場面は今でも覚えており、「聞くべきことは聞く」ジャーナリストとしての姿に感服しました。この本では、国谷さんがキャスターに抜てきされるまでの経緯や心構えがつづられ、ジャーナリストとしての矜持を感じ取ることができます。
世の中の空気に、敏感になりすぎる弊害
国谷さんは“テレビ報道の危うさ”として、以下の3つを挙げています。
1.事実の豊かさをそぎ落としてしまう
2.視聴者に感情の共有化と一体化を促してしまう
3.視聴者の情緒や人々の風向きにテレビの側が寄り添ってしまう
「1」は、テレビニュースが指向する「分かりやすさ」から来るものです。分かりやすくなければ当然、視聴者には伝わりません。しかし、出来事の複雑な背景を単純化して伝えることで、見えなくなってしまうものもあります。
「2」と「3」はキャスターの心理を考えると、私自身も納得できます。キャスターは視聴者に共感してもらいたいと考えていますし、私も実際にそうでした。常に視聴者の視点で物事を考え、何を言えば視聴者が「そうだよね」と思ってくれるのか。そのような思いで言葉を選んでいました。それが悪いとは言いません。ただ、世の中の空気に、必要以上に敏感になることで、情報をなぞるだけになってしまう危惧もあります。
世論や国論を二分するような問題について、キャスターは時に発言をためらいます。放送法の問題や局を背負う立場など、さまざまな問題があり、それを避けがちです。しかし、時にはそれを言わなくてはならないこともあります。国谷さん自身も、同調圧力が増し、感情の一体化が進行しつつある現在の日本社会で、「言葉によって問い続けていくこと」が大事だとしています。
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