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「いっそ1つに」の声も 参院選合区の鳥取と島根、実はかつて“1つの県”だった?

参院選で「1つの選挙区」となっている鳥取県と島根県ですが、そもそも「1つの県」だった時代があるようです。

かつては「1つの県」だった鳥取県と島根県
かつては「1つの県」だった鳥取県と島根県

 7月21日投開票の参院選は、原則として都道府県ごとに選挙区が設置されています。しかし、「1票の格差」是正のため、鳥取県と島根県、徳島県と高知県はそれぞれ、2県で1選挙区の「合区」となっています。特に、鳥取県と島根県は時々名前を混同されることもあり、合区の是非が議論になった際、「いっそのこと、1つの県になれば」という声もありましたが、実は過去に「1つの県」だったことがあるそうです。

「1つの県」だった期間は5年間

 まず、鳥取県県民参画協働課の担当者に聞きました。

Q.鳥取県と島根県がかつて1つの県で、その後、分かれた経緯を教えてください。

担当者「1871(明治4)年7月14日の廃藩置県で『鳥取藩』が『鳥取県』になりました。その5年後の1876年8月21日に、鳥取県が廃止されて島根県に併合されました。併合のはっきりした理由は分かっていませんが、当時の明治政府には、江戸時代に石高が大きかった藩や、幕末に勢力を伸ばした藩を取り除くという方針がありました。鳥取藩は32万石で、全国で13番目の石高でした。

その後、『もう一度鳥取県を置こう』という士族の運動が起きました。そこで、1881年7月、参議の山県有朋が鳥取県(当時は島根県の東部)を視察に訪れ、8月30日、太政大臣・三条実美と山県ら4人の参議が、鳥取県を再び置くことを決定しました。そして、1881年9月12日に再び鳥取県が設置されました。詳細は、鳥取県の近代史(廃藩置県~鳥取県再置)を詳しく紹介する歴史小冊子『鳥取県ができるまで』で説明しています」

Q.参院選で合区の是非が議論になった際、「いっそのこと1つの県になれば」という声もありました。昔の姿に戻るという考えでもありますが、県としての見解は。

担当者「現在、合区解消を国に強く要望しているところであり、合区を契機に昔の姿(島根県と1つの県になる)にという考えはありません。県では、鳥取県が再置された9月12日を『とっとり県民の日』と定め、先人たちがどのような苦労をして鳥取県を再置し、発展させようと頑張ってきたのかを学ぶ取り組みを行っています。古里に誇りと愛着を持った人材を育成し、古里の魅力を再認識できるようにするためです」

 鳥取県は合区制度そのものに反対で、「合区を契機に1つの県に」という声にも否定的なようですが、島根県はどうでしょうか。県政策企画局政策企画監室の担当者に聞きました。

Q.島根と鳥取が参院選で合区になっていることについて、県民の受け止めは。

担当者「2016年9月に島根県議会が『参議院選挙における合区の解消を求める意見書』を議決し、内閣総理大臣や衆参両議院議長らに提出しており、これが県民の声であると認識しています。

県としても合区制度には問題があると考えています。合区した2つの県の間で利害が対立する問題が生じた場合、国政への意見反映が難しくなることや、『1票の価値』は大事な基準ではあるものの、それにあまりにも重きを置くと、合区された両県民の意思の、国政への反映が難しくなるという質的な不平等が生じ得るからです。

今回の参院選で設けられた『特定枠』の制度でも、この問題は解消されないと考えています。そのため、都道府県単位による代表が国政に参加できる選挙制度の実現を県としては目指しています」

Q.合区の是非が議論になった際、「いっそのこと一つの県になれば」という声もありましたが、島根県としての見解は。

担当者「両県は都道府県制初期の不安定な時期に、わずか5年間一緒になったことがありますが、島根と鳥取に分かれて100年以上たち、それぞれが県としての歴史を歩み、県単位の固有の行政が行われてきています。『1つの県に』という考えは島根県としては持っていません」

 両県とも「合区を契機に合併」ではなく、「むしろ合区を解消して県単位の選挙区復活を」という意向のようです。ちなみに、徳島県のホームページによると、もう一つの合区選挙区である徳島県と高知県も、明治期に1つの県だった時代があったものの、1880年に現在の2つの県になったそうです。

(オトナンサー編集部)

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