「うれしいひなまつり」は、作詞者サトウハチロー家では話題にできないタブーだった?
3月3日の「ひな祭り」の歌といえば、「うれしいひなまつり」が有名です。しかし、その歌が、当の作詞者の家では「タブー」だったそうです。

3月3日の「ひな祭り」の歌といえば、「あかりをつけましょ ぼんぼりに」で始まる「うれしいひなまつり」が有名です。この童謡は、文化庁などが選んだ「日本の歌百選」に入った名曲ですが、作詞した故サトウハチロー氏(1903~73年)の家では、歌うことはおろか話題にすることもタブーだったそうです。彼の次男で、サトウハチロー記念館(岩手県北上市)館長の佐藤四郎さん(81)に聞きました。
テレビを切れと言われたことも…
Q.「うれしいひなまつり」作詞のきっかけを教えてください。
四郎さん「私が生まれる前のことで、聞いた話ですが、おやじが姉たちを引き取った後の最初のひな祭りのとき、実母から離れた姉たちのためにひな人形を買ったそうです。そのひな人形を見て喜ぶ姉たちの顔を見て、作詞したと聞いています」
Q.大ヒットした歌ではありますが、「お内裏さまとおひなさま 2人並んで…」の部分は、本来「お内裏さま」だけで男女1対の人形を指すので、間違いとの指摘があります。
四郎さん「ひな人形は、女の子のものですよね。おやじもよく分からなかったようで、ひな人形のことを百貨店の親しい人に聞いて説明をうのみにしたようです。それが間違いの原因かもしれません。おやじは、この歌のことを話すのを嫌がったので詳しくは分かりません」
Q.この歌が、佐藤家でタブーだったというのは本当ですか。
四郎さん「本当です。テレビで流れていると『切れ』と言われました。『お前、男だろう。つまらない歌聞くんじゃない』と。僕は『誰が書いたんだ』と言いたかったのですが(笑)、おやじの言うことは絶対ですから、黙って切りました。
内容に間違いがあったことも、嫌った理由だと思います。あんなに流行してしまって、自分で抑えが効かなくなり、『しまった』という思いがあったのではないでしょうか。作詞家、詩人としてのプライドもあったでしょう」
Q.どのような経緯で間違いに気づいたのでしょうか。
四郎さん「分かりません。ただ、今のようにコマーシャル音楽がそれほど発達していない時代で、当時としては話題の中心になっていたのでしょう。おやじもまさか、あれほど人気の曲になるとは思っていなかったようで、当惑していたようです」
Q.間違いはあるものの、歌はとても広まり、今でも愛されています。佐藤家ではタブーだったということですが、今はどのように思われますか。
四郎さん「あの歌が、なぜあれほど流行したのか。おひなさまの歌は他にもあるのに。そこまで広まって得したのか、損したのか。結果的には、得した方が多いのかもしれませんね。そのために家庭が崩壊したわけでもありませんし(笑)」
本人にとっては不本意な歌だったようですが、由来を聞けば、まな娘を思う親心から生まれた詞。だからこそ、愛され続けているのかもしれません。
(オトナンサー編集部)
勝手な解釈ですが(サトウハチローの詩を“解釈”などとおこがまがしいのですが)。
「うれしいひなまつり」の間違いを、サトウハチローはハッキリと言葉で認めたのでしょうか?「右大臣ではなく右近衛少将」だとか「赤いお顔は左大臣」だとか「お内裏様は男雛女雛の二体を指す」だとか「お雛様は雛壇の全雛人形を指す」だとか…。
サトウハチローともあろう人が雛人形の上っ面をそのまま詩に表現して間違いを犯したしたとは思えないのですが…。
「お内裏様」は内裏の主のこと。館の主をお館様、鎌倉幕府の棟梁/将軍を鎌倉殿と呼ぶのと同じ。
「雛」には「小さい、愛らしい」の意があり、愛らしい代表格である女雛を「お雛様」と呼んだ。
…とある女の子のひな祭りの席に男の子の兄弟が招かれており、この席で兄は左大臣、弟は右大臣と呼ばれておりました。女の子と兄の左大臣がご馳走の支度に台所に出向き、しばらくしてご馳走を運んでくると弟の右大臣がボンヤリしておりました。「おや?右大臣、顔が赤いわね…、白酒飲んだでしょッ!」…。
詩の上っ面で批判されたサトウハチローは「たわけ者が!」と「うれしいひなまつり」の歌を聴くたびに批判を受けた当初の怒りが湧いてきて、むかっ腹を立てていたのだと思います。
...戯言です。