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「友達がいなくても楽しく生きられる」は本当? 「不要論」「必要論」から見えた人間関係の“コスパ化”

「友達不要論」と「友達必要論」が対立するのは、なぜなのでしょうか。評論家が考察します。

「友達不要論」「友達必要論」が対立することも
「友達不要論」「友達必要論」が対立することも

 さまざまな社会問題を批評する評論家の真鍋厚さんによると、近年、孤独や孤立が社会問題として認識されるようになった影響で、友人をはじめとした人間関係に関するマニュアル本や専門家のインタビュー、有名人の発言などが注目されるようになってきたといいます。

 そんな中、「友達がいなくても人生を楽しく生きられる。むしろ友達はいらない」といった友達不要論と、「友達の数が健康状態に反映される。友達がいないと健康状態が悪くなり、寿命も縮む」といった友達必要論がネット上などで登場しており、ときに両者は対立することがあるようです。

 なぜこのような極論な理論に分かれてしまうのでしょうか。そもそも正解はあるのでしょうか。真鍋さんが解説します。

友人関係を築き健康を維持

 まず友達不要論と友達必要論の対立ですが、前者については世間にはびこる「ぼっち」に対する寂しそう、かわいそうといった差別意識への反発のほか、家庭や学校などにおける既存の人間関係への不信感、後者については健康志向から来るコストパフォーマンス(費用対効果。略語はコスパ)の追求が背景にあると考えられます。

 確かに学校や職場などで1人で食事をしている場合、一緒に食事をする相手がいないことに不安を感じる「ランチメイト症候群」という言葉があるほど、1人でいることを「変わったこと」「問題がある」と評価する風潮が依然として根強くあります。同調圧力といってもいいかもしれません。

 また、「友達はいいもの」「友達が1人もいないのは人間的におかしい」などといった価値観があり、これが「ぼっち」への偏見を助長している面もあります。友達不要論は、このような価値観にノーを突き付けるとともに、積極的に1人になるメリットなどを示して、現状を肯定してくれます。

 一方、友達必要論は、昨今の健康志向の高まりと密接に関連しています。新型コロナウイルスの流行を通じて、社会的なつながりの重要性とそれが心身に与える影響の大きさが再評価されると同時に、先進国で超長寿化時代を迎える中で、健康を維持していくためには良好な人間関係が必要との知見が広まっているからです。これは個人のレベルにとどまらず、政府の政策などにおいても実施されています。

 例えば、英国の経済学者のノリーナ・ハーツは、いくつかの研究を踏まえ「ごくわずかな時間でも他人とポジティブなつながりを持てれば、その人の健康に大きなプラスとなる。ストレスの多い状況でも、友達がいるだけで、生理学的な反応が落ち着く(血圧やコルチゾール値の低下など)」と述べています(※1)。

 2010年に発表されたある研究では、適切な社会的つながりを持つ人は、不十分な社会的つながりを持つ人に比べて生存の可能性が50%高いことが示されました(※2)。この効果の大きさは禁煙に匹敵し、肥満や運動不足などのよく知られている死亡危険因子を上回ると主張しています。

 米国のハーバード大学は、80年以上にわたって幸福に関する研究を進め、大規模な追跡調査を実施してきました。この研究の現在の責任者で精神科医のロバート・ウォールディンガーと、副責任者で心理学者のマーク・シュルツは、「どの研究の知見も、人とのつながりの重要性を示している。家族や友人、地域社会とのつながりが強い人の方が、そうでない人よりも幸せで、肉体的にも健康だ」と指摘しました(※3)。

 このような研究成果だけを見ると、友達必要論が優勢のようにも思えてきます。しかし、注意が必要です。先述のウォールディンガーとシュルツは、「自分が望む以上に孤立している人は、他者とのつながりを感じている人よりも早い時期から健康状態が悪化する」というように条件を付けているからです。

 つまり、極端な話、「友達がゼロでも苦にならない。かえって1人の方が楽」という人は当然いるわけで、この人は「自分が望む以上」には孤立していないのです。

 例えば、2021年に死去した脚本家の橋田壽賀子さんは、「友達がいないというのは、すごくさわやか」と発言するなど、友達をつくらない立場を公言している有名人の一人ですが、そのような人がまったくいないわけでもないようです(※4)。

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真鍋厚(まなべ・あつし)

評論家・著述家

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。著書に「テロリスト・ワールド」(現代書館)、「不寛容という不安」(彩流社)、「山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義」(光文社新書)。

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