もはや“時間”の奴隷? 「タイパ」社会の問題点
「タイパ」が台頭した背景や、「タイパ」との向き合い方について、さまざまな社会問題を論じてきた評論家が解説します。
近年、タイムパフォーマンスを略した「タイパ」という言葉をよく聞きませんか。これは、費用対効果を意味する「コスパ」(コストパフォーマンスの略語)にならい、時間対効果を表している造語です。主に若い世代による「動画の倍速視聴」が2022年に書籍などで取り上げられた際に非常に注目を集め、三省堂が同年11月に発表した「今年の新語2022」では、大賞に選ばれました。
タイパは私たちの生活に浸透し、動画視聴から家事全般に至るまで、時間短縮と効率化が必須になりつつあります。タイパのメリットばかりが強調されていますが、デメリットはないのでしょうか。タイパが台頭するようになった背景などについて、さまざまな社会問題を論じてきた評論家の真鍋厚さんが解説します。
「大きな成功」よりも「小さな幸福」を重視
タイパの急速な台頭は、ソーシャルメディアの影響力の増大と、幸福感を重視する新しい価値観を抜きには語れません。
三省堂の「今年の新語2022」の選評で、タイパは「今や、人々は活字よりも映像や音声、とりわけネットの動画から情報を得ることが多くなりました」「世の中は活字文化から動画文化へ移行しています。その時代を生きるためには、タイパの向上が不可欠になるのかもしれません」と指摘されています(※1)。
選評でタイパが避けられない可能性に関する言及があるのは、なかなか驚くべきことです。では、なぜそのような時代になったのでしょうか。
1つは、選評に書かれていた情報環境の変化があります。特にデジタルネーティブであるZ世代は、Instagram(インスタグラム)やTikTok(ティックトック)などで流行を追う必要から、タイパを意識せざるを得ません。
もう1つは、幸福感の追求です。近年、経済低成長の常態化と生き方の自由度が増す個人化を背景に、大金持ちを目指す「大きな成功」よりも、ちょっとした工夫で得られる「小さな幸福」を志向する風潮が優勢になってきています。
情報環境の変化は、一言でいえばソーシャルメディアの影響力の増大です。とりわけ若い世代の多くは、友人関係や趣味のつながりのほか、アイドルやキャラクターをさまざまな形で応援する「推し活」などに追われており、1人の時間を持つことは困難な状況と言えます。そのため、必然的にタイパが求められるのです。
米国の社会心理学者で作家のショシャナ・ズボフは、それをデバイスを介した「心理的な依存」であるとして、警鐘を鳴らしています。
ズボフは、「ソーシャルメディアの磁力は若者たちを、より自動化された、より自発的でない行動へと駆り立てる」と主張しました。
そして、「ソーシャルメディアは、あらゆる年齢層をひきつけるように設計されているが、主に思春期と成人形成期の心理構造に焦点を絞っている。その年齢層の若者はとりわけ『他者』への関心が高く、グループによる認知、受け入れ、グループへの所属、一体感といった報酬にひかれる」と続けました(※2)。
キーワードは、「他者」から見える自分のイメージと、「他者」との比較、さらには刹那的な刺激です。
つまり、ソーシャルメディアによる自己イメージへの固執と、装飾された他人の人生への興味、目まぐるしく移り変わる流行の注視、好奇心をかき立てる話題に対する期待といった、「関心の拡散」が起こっているのです。これは、沼にハマった状態のため、沼から出られれば、タイパと冷静に付き合う余裕ができると言えます。
幸福感の追求に関しては、おおむね全世代に共通しています。経済の低成長時代が続き、賃金が上がらず、将来の不安が増しています。一方、伝統や規範はどんどん弱まり、個人の生き方の選択肢が広がる状況にあります。
そんな中で台頭してきたのが、起業や出世、高報酬の仕事といった勝ち組を目標にする「大きな成功」よりも、幸福を人生の重要項目に位置付け、職場や住まい、習慣、考え方を変えることで、「小さな幸福」を獲得することに力を注ぐ価値観です。
この場合、「より少ない時間でより多くの幸福感を得ること」が重要になってきます。年収アップのためのオーバーワークよりも、むしろセミリタイア的な働き方を求める人々が典型です。ここでは、自分で自由に使える「可処分時間」は、幸福度を上げるという目標に向けて再編されます。
すると、セロトニンやオキシトシン、ドーパミンといった、いわゆる「幸せホルモン」の分泌を促す運動や旅行などの体験が優先され、脳が幸福感で満たされるかどうかを基準に物事を考えるようになるでしょう。
狭い意味でのタイパは、「斜め読み」「要約」「マンガで学ぶ〇〇」「まとめサイト」など、昔からあるものです。
しかし、ライフスタイルにおける広い意味でのタイパは、新しい概念です。なぜなら、先述の「関心の拡散」と「幸福感至上主義」が重複するところにこそ、満足度や達成感などの時間対効果を切実に必要とするニーズが生じるからです。これは消費者マインドというより、投資家マインドといえます。少ない投資で多くのリターンを得たいと望む思考で、自分の時間の投資先が課題になるのです。
ただ、先述のズボフが主張しているように、「自発的ではない行動へと駆り立てる」情報環境に絡め取られ、脳内物質の状態で決定される「幸せな人生」像にのめり込むことは、特定のシステムや思想に自分を明け渡すことでもあります。効用ばかりに目を奪われた末に、時間管理の奴隷となりかねません。
その反動なのか、最近、「空白の時間」「余白の時間」をつくれと積極的にアドバイスするビジネス書などが注目されるようになりました。
しかし、これも「空白」「余白」に創造性の養成や精神的な充足といった効用を切実に求めている時点で、タイパ的なものの影響下にあると言えるでしょう。「睡眠」と同様、「空白」「余白」時間の効率的な運用による幸福度や生産性の向上が意図されているからです。詰め込むよりも、賢く隙間を作った方がさまざまな面で効果的という、より周到なタイパなのです。
このように考えると、タイパはすべての時間を投資に回そうとする性質があるようです。
時代の申し子といえるタイパは、私たちの生活をスムーズにする半面、テクノロジーの作用や幸福ブームの余波を過小評価させ、内省の機会を奪いかねません。そもそも、人生は倍速にはできませんし、リアルな人間関係は手間がかかります。
私たちは、タイパとは無関係ではいられない状況を踏まえながら、いかにタイパに支配されない人生を歩んでいくかという難題と向き合わなければならないのです。
【参考文献】
(※1)「三省堂 辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2022』」(三省堂)
(※2)「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い」(ショシャナ・ズボフ著、野中香方子訳、東洋経済新報社)
(評論家、著述家 真鍋厚)
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