「お子さんは自閉症ではないですよ」と言ってほしかった “療育の鬼”と化した母が現実を受け入れるまでの「過程」
22歳になった自閉症の息子。母親である筆者が、わが子の障害を受け入れるまでの「過程」と、現在の思いを伝えます。

子育て本著者・講演家として活動する私の息子は自閉症で、現在22歳です。診断を受けたのは2歳3カ月のときでした。それまで「何だか怪しいな」と感じつつも、その気持ちを打ち消し、「個性的なのかな」「性格なのかな」「きっと発達がゆっくりさんで、大器晩成タイプなんだろうな」と思っていました。「長い目で見ようよ」「子どもなんて、みんなそんなもんよ」と励ましてくれる友人もいました。
しかし、2歳を過ぎても発語が一切なく、人と関わることができず、保育士の指示を無視して勝手な行動を取る息子を見て、「いよいよ怪しい」と感じ始めました。
そして2歳3カ月のとき、専門の医師から「息子さんは自閉症ですよ」と言われました。大変な衝撃を受け、診断した医師を「やぶ医者だ」と恨み、それからセカンドオピニオン、サードオピニオンを探し歩く“ドクターショッピング”を1年間しました。
受け入れがたい現実を受け入れる“過程”
アメリカの精神科医・キューブラー=ロスの著書「死ぬ瞬間」には、このようなことが書かれています。
「あなたは末期がんです。余命1カ月です」「あなたの子どもは病気があり、長くは生きられません」「あなたのお子さんは発達障害です」――。このような受け入れがたい現実を前に、人は次の過程を通るそうです。
【否認】…「自分が死ぬということはうそではないのか」と疑う段階
【怒り】…「なぜ自分が死ななければならないのか」という怒りを周囲に向ける段階
【取引】…「何とか死なずに済むように取引をしよう」と試みる段階。何かにすがろうという心理状態
【抑うつ】…何もできなくなる段階
【受容】…最終的に、自分が死に行くことを受け入れる段階
私の場合も、息子の診断を「誤診」と思い、診断結果も診断した医師のことも認めず(【否認】の過程)、「どうしてうちの子が」と、定型発達の子を育てているママ友に対して怒りを感じ(【怒り】の過程)、「自閉症ではないですよ」と言ってくれる医師を探して“ドクターショッピング”をしました(【取引】の過程)。
複数の医師から異口同音に「お子さんは定型発達の子ではない」と言われて、「療育すれば定型発達児に少しでも近づくことができるのではないか」と、すがるような気持ちで期待しました(【取引】の過程)。
“療育の鬼”と化した私は、息子に複数の療育を受けさせ、家でも訓練をしました。苦手を克服させようと必死に努力させ、何でも1人でやらせようと試みたり、偏食を徹底して直そうとしたり、本人にとって難しいことであったとしても、みんなと同じことができるようにさせようとしたり…無理解なのに熱心に介入して子どもを苦しめる人を指す「熱心な無理解者」という言葉がありますが、私がまさにそうでした。
しかし、息子の自閉症が治るわけではなく、定型発達の子どもとの差はますます開くばかりで、【抑うつ】状態に陥りました。
コメント