森保一監督はなぜ“奇跡”を2度起こせたのか? サッカーW杯をマネジメントの観点で考える
「自分で決めたこと」への責任感
人を率いるマネジャーは、組織全体の結果に責任を負います。人は責任を負うことについては「コントロールしたい」と思うのが普通です。コントロールできないことについて責任を負うことは、できるだけしたくないことでしょう。それなのに、失敗するかもしれないのに、メンバーに権限委譲をしてその責任を負うというのは、大変な覚悟です。それを森保監督は実行しているように見えます。
本来、監督が決める戦術などの決定に選手を関わらせることで、選手たちに「自分で決めた感」を持ってもらい、その結果、「自分で決めたことなのだから、やりきろう」「自分で決めたことなのだから、責任は自分にある」と最終的に決まった方針に対して最大限のコミットを引き出しているのです。
それなら「なんでも選手に決めさせればよいか」と言えばそうではありません。立場が違うので、マネジャーは全体最適、メンバーは自分の役割をベースに個人最適で考えるものであり、本当にすべてを任せてしまえば最適解が出ないかもしれません。ですから、監督は基本、自分の腹案を持っていなければなりません。そして、誤解を生む表現かもしれませんが、「その腹案をまるで選手自らの案であるかのようにコミットさせる」ということが実は重要ではないかと思います。
ここからは想像ですが、森保監督は「よく分からないから選手たちに自分で考えてもらいたい」などとは思っていないはずです。本当は「これでやれ」と言いたいところを、ワンクッションおいて選手に考えさせて、監督がやりたかったことを自分たちで選ばせることをしているのではないかと想像します。







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