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【戦国武将に学ぶ】黒田長政~関ケ原の勝利導いた、父譲りの謀略~

戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。

黒田長政が築いた福岡城の跡(福岡市)
黒田長政が築いた福岡城の跡(福岡市)

 黒田長政は、1568(永禄11)年、出家後の名前如水(じょすい)でも知られる黒田官兵衛孝高(よしたか)の嫡男として生まれています。父の官兵衛が豊臣秀吉の軍師としてあまりにも著名なため、その陰に隠れた存在ですが、長政も大きな功績を残しています。

たびたびの危機、乗り越える

 ただ、順風満帆な一生だったわけではなく、いくつかの困難を乗り越えています。一つは、織田方の人質となっていたとき、危うく殺されそうになったことです。

 父官兵衛が、主家播磨御着(ごちゃく)城主の小寺政職(まさもと)を織田信長側につけたとき、まだ松寿丸(しょうじゅまる)といっていた10歳の長政が、人質として織田方に出されました。長政は羽柴秀吉に預けられ、秀吉の居城だった長浜城に抑留されていたのです。

 その折、摂津有岡城の荒木村重が信長に対して反旗を翻し、織田方に戻るよう説得に行った官兵衛は、有岡城に幽閉されてしまいました。信長は、官兵衛も荒木方になったと誤解し、松寿丸の殺害を命じています。このとき、秀吉のもう一人の軍師竹中半兵衛は「官兵衛が裏切るようなことは絶対ない」と、松寿丸をかくまったため、長政は命拾いをしました。

 1582(天正10)年4月の備中冠山(かんむりやま)城攻めの際、15歳で初陣を果たし、その後、山崎の戦い、さらに九州攻めというように、長政は官兵衛と一緒に活躍の場を広げていきます。

 その九州攻めの論功行賞で、官兵衛に豊前の内6郡、石高にして12万石が与えられ、官兵衛・長政父子は中津城(大分県中津市)を居城としました。ところが、ここに、もう一つの困難な状況が生じたのです。新しく黒田領となった中に、城井谷(きいだに)と呼ばれる所があり、そこの領主だった宇都宮鎮房(うつのみや・しげふさ)が転封を拒否し、抵抗を始めたのです。これを豊前一揆と呼んでいます。

 このとき、長政が兵を率いて城井谷を攻めたのですが、敗れてしまい、結局、官兵衛の策略で講和交渉を進めるという口実で鎮房を中津城に誘い出して謀殺。事を収めました。おそらく長政は、この一件を通して、力だけではなく、謀略や調略を用いる戦い方に目覚めたものと思われます。

小早川秀秋の寝返り誘う

 そのことを如実に示すのが、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いにおける長政の働きぶりです。9月15日の関ケ原の戦いでは、長政は石田三成が布陣した笹尾山を攻め、実際の戦いでも大きな手柄をあげているのですが、むしろ、表に現れないところで大きな仕事をしていたのです。

 その一つが、松尾山に布陣していた西軍の小早川秀秋を東軍に寝返らせたことです。この小早川秀秋の寝返りが、戦いの流れを大きく変えました。その意味で、東軍勝利の第1の功労者は長政だったといっても過言ではないと思われます。

 そして、もう一つは、南宮山の毛利秀元および吉川広家への懐柔も、長政が進めていた点です。この南宮山の毛利・吉川両軍が中立を保つに至った背景には、徳川家康の重臣井伊直政、本多忠勝の働きかけもあったわけですが、長政の裏工作も大きかったといわれています。その結果、それまで豊前中津で18万石だった長政は、筑前名島(福岡市)52万石に加増栄転となりました。

 長政は、はじめ名島に入りましたが、城下町の発展を考え、古くから港町として栄えていた博多に目をつけ、その隣接地の福崎に城を移し、そこを福岡と命名しました。黒田家の祖先が備前福岡から出たことに由来します。

 なお、長政は、福岡城内に普段は使わない部屋を用意させ、「月のうち3日、自分はそこにいるから、何か意見をいいたい者はその部屋にくるように」と指示しています。上下の風通しをよくしようと考えたものと思われ、家臣団の統率にも気を配っていた様子がうかがえます。

(静岡大学名誉教授 小和田哲男)

【写真】黒田長政ゆかりの「中津」「関ケ原」「福岡」

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小和田哲男(おわだ・てつお)

静岡大学名誉教授

1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に「戦国の合戦」「戦国の城」「戦国の群像」(以上、学研新書)「東海の戦国史」「戦国史を歩んだ道」「今川義元」(以上、ミネルヴァ書房)など。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」、NHK・Eテレ「知恵泉」などに出演。NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」「どうする家康」の時代考証を担当している。オフィシャルサイト(https://office-owada.com/)、YouTube「戦国・小和田チャンネル」(https://www.youtube.com/channel/UCtWUBIHLD0oJ7gzmPJgpWfg/)。

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