知床観光船沈没1カ月へ…なぜ「出航」判断? 心理学で考える
世の中のさまざまな事象のリスクや、人々の「心配事」について、心理学者であり、防災にも詳しい筆者が解き明かしていきます。
北海道・知床沖で4月23日、観光船「KAZU1(カズワン)」が沈没してから、間もなく1カ月になります。10人を超える人たちが犠牲となり、5月18日時点でも、行方不明のままの人たちがおられます。
あの日、なぜ欠航という判断ができなかったのか。なぜ出航という大きなリスクテイクをしてしまったのか。本当に悔やまれる事故ですが、今回はその原因を、心理学的立場から考えてみたいと思います。
リスクを過小評価?
なお、これから書く内容は、当事者への取材等に基づいたものではなく、心理学的考察に基づく推測を含むことを最初にお断りしておきます。
運転行動や防災行動を説明するいくつかの心理学的モデルでは、われわれ人間は、脅威やリスクを感じると同時に、リスクテイクをした場合に得られる「利得」も感じており、この両者をてんびんにかけて行動を決めていると考えられています。またこのとき、感じられるリスクに影響を与えるものとして、自分の能力、乗り物の性能、コントロール可能性に対する評価や、過去の経験などが挙げられます。
少し抽象的になりましたが、具体的な事例で考えてみましょう。観光船を運航する会社は、乗客が支払う料金で運営されています。一方で、従業員の人件費、事務所の家賃、船舶の維持費などの固定費は、毎月出ていってしまいます。
事故が起きたのは、新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックの影響で観光客が激減した後、ようやく客足が戻りつつあった時期です。このタイミングでのほぼ満席の予約です。欠航をすれば収入はゼロ、リスクテイクをしても出航して無事戻ってくれば、大きな収入が得られます。
定常的に観光客が来ていたコロナ前のときなら、もっと安全寄りの判断もできたかもしれませんが、タイミング的にも、利得がコロナ前よりずっと大きく評価されてしまった可能性があります。
また、KAZU1の船長がそうであったかは、今となっては知ることが難しそうですが、一般論として、自分の操船能力や船の性能を不当に高く評価していると、「自分の技術なら乗り切れる」、「この船の性能なら乗り切れる」と考えるため、感じるリスクが小さくなります。
さらに、コントロール可能性が高いと感じられるほど、感じるリスクが小さくなります。具体的には、例えば人間は、体の構造上、空を飛ぶことができないので、飛行機のリスクを高く感じます。一方、空を飛べる人はいませんが、海や湖で泳げる人はいるので、彼らは船のリスクを低く感じる可能性があります。
実際には、当日の知床沖の水温は5度以下であり、泳げるかどうかにかかわらず、海に入ってしまえば、数分で意識を失うような状況でした。だから、たとえどんなに泳ぎがうまくても、飛行機が落ちるのと状況は大して変わらないのですが、先ほど書いた個人が感じるリスクやコントロール可能性は、直感的かつ主観的なもので、あまり深く考えずに、「何かあっても飛行機よりは安全そうだな」と感じてしまう場合があります。
さらに、過去に同じような悪天候で出航し、無事に帰ってきたという経験を何度か繰り返していると、「この程度なら大丈夫」という誤った学習をしてしまいます。一方、欠航判断をしても、もし出航したらどうなっていたかは分からないので、「欠航してよかったな」という学習は、なかなか進みません。
それどころか、「欠航してもそれほど海が荒れなかったら、『実は大丈夫だったんじゃないの?』などと、会社からも乗客からも言われやしないか」というプレッシャーを、出航・欠航の判断をする人は、常に感じているはずです。
これらを総合すると、今回の出航判断は、「利得」が高く評価される条件、「リスク」が低く評価される条件がそろい、誤った学習やプレッシャーが加わるなど、いくつもの不幸な要因が重なった結果だったのかもしれません。
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