ロシア兵が「残虐行為」に走ったのはなぜ? ナチスとの共通点を心理学で解き明かす
世の中のさまざまな事象のリスクや、人々の「心配事」について、心理学者であり、防災にも詳しい筆者が解き明かしていきます。
ロシア軍がウクライナの一部の地域から撤退を始め、そこに残された惨状に世界がショックを受けています。筆者も、報道される内容に大変胸を痛めていますし、決して許してはいけない蛮行だと思います。一方で歴史をひもとけば、人類は、このような蛮行を繰り返してきました。では、このような「蛮行」をしてきたのは、いわゆる“殺人鬼”のような極悪人なのでしょうか。心理学の面から考えてみましょう。
「止まらぬ暴力行為」実験が証明
実は、この疑問に対して、心理学は約60年も前に、一つの答えを出しています。有名な実験なのでご存じの人も多いかもしれませんが、俗に「ミルグラムの電気ショック実験」と呼ばれる研究です。
この実験の参加者は、研究者立ち会いのもと、教師役となり、「生徒」が問題を間違えたら電気ショックを与えるように言われます。また、生徒が問題を間違えるたびに、電圧を徐々に上げるように説明を受けます。生徒は、実は研究者が用意した「サクラ」で、わざと問題を間違え、実験参加者が電気ショックを与えるボタンを押すたびに、その電圧に応じて苦しむ演技をしますが、実際には電気は流れていません。
電圧が上がるにつれて、生徒役の反応は、うめき声からやがて絶叫に変わっていきいます。教師役の実験参加者が、苦しんでいる生徒の様子を心配して実験をやめようとすると、白衣を着た権威のありそうな研究者が「後遺症をもたらすこともないし、自分たちが責任を取るので、続けるように」としつこく促します。
最初の電気ショックの値は15ボルト、最大値は450ボルトで、各電圧の目盛りには、その強さが言葉で表現されています。375ボルトのところには「危険、シビアなショック」と書かれており、それより上の値には、ただ「XXX」とだけ書かれていました。はっきり書いてはいませんが、「ここまで行ったら死んでしまう」の意味にも読めます。
この実験に参加したのは新聞広告で募集されたごく普通の人々であり、「ほとんどの人は、白衣の研究者が促しても最高電圧を与えることはないだろう」と予想されていました。しかし、結果は予想を見事に裏切るもので、実験に参加した40人のうち26人が、最大の450ボルトの電気ショックを生徒に与えるボタンを押しました。また、300ボルトよりも手前で実験をやめた人は、一人もいなかったそうです。その後いくつかの追加実験が行われましたが、結果はほぼ同じでした。
この結果は、「普通の人」であっても、役割が与えられ、権威ある人から命じられるなどの状況がそろえば、容易に深刻な暴力行為をしてしまうことを示しています。そんなバカな、と思われるかもしれませんが、この実験の参加者は、家族を人質に取られたり、自分の命に危険があったりしたわけではありません。そんな状況でもこういう結果が出ているので、もし軍人として戦闘に参加させられ、命の危険を感じるような状況下で、上官から「蛮行」を命令されたら、あなたは毅然(きぜん)と断ることができるでしょうか。
「ごく普通の人」だった大量虐殺者
ミルグラムの実験には「アイヒマン実験」という別名があります。アイヒマンはナチスドイツの軍人で、ユダヤ人大量虐殺の実行責任者として、戦後、その責任を問われた人物です。これだけ聞くと大変な極悪人だと思われるかもしれませんが、平時のアイヒマンは、職務に忠実で家族を愛する、ごく普通の人だったそうです。
アイヒマンは裁判の中で「私は命令に従っただけだ」と発言したとされます。ミルグラムはこれを聞き、「普通の人が、命令されただけで本当にそんな蛮行をできるのだろうか」という疑問を持ち、先述の実験を行いました。結果は先ほどお示しした通りですが、筆者には、ロシア兵によるウクライナでの蛮行も、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺も、同じ構図のように思えてなりません。
ミルグラムの実験は、それまでの人間観を大きく変えるもので、大変な話題になりました。一方で、実験参加者にも深い心の傷を追わせることになり、多くの批判もあって、心理学の研究倫理を見直すきっかけにもなりました。従って現代では、このような実験を再現することはできませんが、この実験によって、戦争が人に与える役割や状況は、普通の人の「内なる悪魔」を容易に引き出し、蛮行をさせてしまうことが明らかになりました。ロシアが戦争を始める前に、この貴重な知見を生かせなかったことが、悔やまれてなりません。
繰り返しますが、ロシア軍の蛮行は許されることではありません。しかし、ミルグラムの実験結果に従えば、蛮行をしたロシア兵も、役割や状況がそろってしまっただけで、普通の人なのかもしれません。もしそうだとすれば、私たちが憎むべきなのは、人間に蛮行をさせる役割や状況を与えてしまう「戦争」そのものであるべきです。
国レベルでは、戦争には勝ち負けがあります。しかし、勝とうが負けようが、当事者は(今回のロシア兵も含めて)深く傷つきます。国際社会がこの戦争を止められなかった時点で、人類が戦争に敗北したのだ、と言えるのかもしれません。この戦争が早く終わることを、そして、普通の人を悪魔に変えてしまう戦争が二度と起きないことを願ってやみません。
(近畿大学生物理工学部准教授 島崎敢)
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