昭和の時代、そこにはヒロインが存在した 彼女たちのその後の人生は?
年末に開催された、文筆家、事業家として活躍する寺井広樹さんの出版パーティーの様子をお伝えします。

年末、アングラなイベントに参加してきました。文筆家、事業家として活躍する寺井広樹さんの出版パーティーです。寺井さんは多方面で活躍されており、銚子電気鉄道「まずい棒」をプロデュース、「科捜研の女」(テレビ朝日系、2016年)の離婚式も監修しています。
2020年には小説「電車を止めるな!」(PHP研究所)も映画化されました。著述家として50冊以上の著作、事業家としても活躍される寺井さんの新刊パーティーとは、どのようなものだったのでしょうか。今回はルポ形式でお送りします。
ネーミングの由来は明治神宮?
今回は、10月に上梓した「伝説のAV女優」(彩図社)の出版記念パーティーの位置付けです。場所は高円寺「pundit」、会場は満席でした。全員マスクを着用し、アクリル板も用意されています。しかし、なかなかカオスな雰囲気が漂っています。
ここに、本書でも紹介されている夕樹舞子さんが拍手で迎えられます。続いて、カメラマンの山岸伸さんが登場します。山岸さんは2009年、慢性骨髄性白血病と診断されますが、投薬治療を受けながら、現在も病と闘っています。
山岸さんが大病を患ったことはニュース等で知っていましたが、元気そうに見えました。「実は他の出演依頼があったんだけど、そっちは断ってこっち来ちゃったよ」と楽しそうな山岸さん。ここから、寺井さんが切り込んでいきます。
――夕樹舞子というお名前は、どなたが付けられたのですか。(寺井さん)
「事務所の社長が明治神宮の神主さんに私の本名を見せて、こういうふうなお仕事をさせていきたいから、名前を付けてくださいと頼んだんです。そうしたら、名前の中に、月と水か何かが足りないみたいなことを言われて、『夕樹』で補おうというので、その名前ができたんです」(夕樹さん)
――ネーミングセンスが素晴らしいですね。最初はアイドルとして、雑誌のお仕事が中心だったのですか(寺井さん)
「そうですね。17歳だとヌードになれないから、笑顔の練習とか発生練習とかもしてました。私の宣材写真って手ブラだったんですけど、実はまだ17歳だったから、手で胸を隠してたんです(笑)それで、18歳の誕生日を迎えた日にビデオを撮ったんですよ」(夕樹さん)
アジアの女神はすごかった
――海外でのブレークがすごかったですね。12本で3億円というオファーも話題になりました。(寺井さん)
「搭乗待合室で待っていたら、なぜか、周りにいる男の人がみんな『ビデオボーイ』とか持ってるんですよ。なんでだろうって思っていたら、『サインください』ってみんな集まってきて。『え、まだ日本だよね? こんなにいっぱいファンがいるの?』っていう状況で。それで、飛行機に乗って香港に着いたら、もう、入国審査から違うんですよ」(夕樹さん)
「SPの人たちが6人くらい、私のところにきて、1人だけ、ロールスロイスに乗せられて。マネジャーは別の車だったから、私、一体どこに連れていかれるんだろう、怖いよ、怖いよって(笑)で、車が止まったら会見場で。なにがなにやらという感じでした」
――そういえば、1997年に「劇場版新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」に出演されましたが、どんな感じだったのですか。(寺井さん)
「祖師ケ谷大蔵にある円谷さんのスタジオで、ガラスの透明のかごの中に裸で入って、体に管を付けられて、絶対動いちゃいけないんですよ。だから、トイレに全く行けないし、つらかったですね。すごい大きいスタジオで寒いし、ずっと1人裸で。大変でしたね。でも、私のシーンはテレビだとカットされちゃうんですよね、残念(笑)」(夕樹さん)
――確かに、テレビ放送時に放送されなくてガッカリしました。(寺井さん)
時代を築いたヒロインの今?
この後、質問コーナーやゲームがあり、会は終了します。
最近は、過去の作品の配信停止を希望する方も多いと聞きました。夕樹さんは「難しい質問」としながらも、昔の作品が売られ続けているのなら、売れた分のロイヤリティーを関係者に支払うべきだと言います。そういうものがあれば、いろいろなことが変わるはずだと。
昭和の時代、そこには多くのヒロインが存在しました。彼女たちのキャリアはその後どうなったのでしょうか。家族は、家庭は、結婚は。それぞれが違う道を選び、今、何を思うのか。本書は、そんな彼女たちの生きざまを照射しています。
(コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員 尾藤克之)
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