たたかれて育った人は子をたたく 子育ては「連鎖」する? 親を反面教師にする難しさ
子育てには、自分が親から受けた育て方をそのまま、自分の子どもに再現してしまう「連鎖」の傾向があるのではないかと筆者は指摘します。

妊娠が分かったとき、喜びにあふれる一方で不安がよぎり、「無事に生まれてきてくれさえすればいい」「五体満足であれば、女の子でも男の子でもいい」と思った人はいませんか。しかし、こうした思いを満たしていても、実際に子どもが生まれて「比べる病」になってしまうと、次から次へと要求が尽きなくなってしまいます。
子育て本を読む親、ネットサーフィンをする親はきっと、「どこへ出しても恥ずかしくない子に育てたい」「ちゃんとした子どもに育てたい」と願う、どちらかといえば、教育熱心な人なのかもしれません。初めての子どもの場合は特に、妊娠中は不安になるものです。そして、元気に生まれてきてくれたわが子を見て、幸せな気持ちになったのではないでしょうか。
ところが、そうした時期もつかの間。「あの赤ちゃんは授乳が3時間おきなのに、うちの子はすぐに起きてしまって、授乳が1時間半おきになってしまう」「ママ友の子は2カ月で首が座っている。でも、うちの子は3カ月になろうとしているのにまだまだ」と、思い通りにならないことがたくさん起こります。子どもが0歳ならば、親も“0歳”だからです。
他人と比べる人生は地獄
子どもが生まれると、女性は突然、「お母さん」になります。おむつの替え方や母乳のやり方は「母親学級」や助産師さんから習うことができても、褒め方や叱り方、しつけの仕方を誰かにきっちりと教わることは通常ありません。そうなると必然的に、自分が親から受けた育て方をそのまま、自分の子どもに再現してしまいやすくなります。どんなに情報として知識があったとしても、自分の親から受けた育て方が心身に染み付いているからです。
もし、あなたが親から、「○歳だから□□できなきゃいけない」「○歳だから△△すべき」といった育てられ方をしていたら、計画通りに進まない子育てに焦りと不安が募るでしょう。
子どもが8カ月になったら、「○○ちゃんの子は離乳食をモリモリ食べるのに、うちの子はミルクしか飲んでくれない」。1歳になったら、「◯◯ちゃんはもう歩いているのに、うちの子はまだ」。2歳になったら、「○○君は2語文を話すのに、うちの子は単語だけ」。そして、4歳になったら、「お友達は平仮名が書けるのに、うちの子は全く書けない」という具合に。
焦りと不安、そして、それに伴う欲求はさらにエスカレートし、「○○さんのところの子は正社員だけど、うちは非正規雇用」、いつまでも結婚しないと「うちの子はまだシングル…」、そして、結婚したら結婚したで「○○さんのお宅は孫が4人もいるのに、うちはまだ。死ぬまでに孫を抱きたい」と思うようになるかもしれません。
他人と比較する人生は“エンドレスの地獄”です。ないものを見つけるのが得意になり、手に入らないものだけを追い続ける人生になってしまいます。
親を「反面教師」にする難しさ
私の母は「人に迷惑をかけない子に」「どこへ出しても恥ずかしくない子に」との強い思いで私を育ててくれました。私は「自分の気持ちを押し殺して、相手のために生きること」を誤学習してしまいました。しかし、自分の気持ちを大切にできない人が相手の気持ちを思いやることなんてできません。
そんな私も親になり、母がかつて私にしたように頑張って子育てをしました。「言葉を豊かにするためには絵本の読み聞かせだ」と、息子が赤ちゃんの頃から、1日10冊以上は読み聞かせをし、漢字カードも見せていました。ところが、その努力は実りませんでした。言葉のシャワーをたくさん浴びせかけても、息子の口からは「マンマ」も「ワンワン」も出なかったのです。
不安に思って病院を受診したところ、自閉症と診断されました。1年間はショックで障害を受容することができませんでしたが、次第と受け入れられるようになりました。それからは、定型発達児の親だったら気が付かないような小さな成長(「ボタンがはめられた」「水道の蛇口を1人でひねることができた」…)に気付く視点を持つことができ、その一つ一つに感動できました。「○○ができない」とないものねだりをするのではなく、少しでもできるようになったことを喜ぶようになったのです。
息子は知能指数が37です。だから、先述のように受け入れられたのだと思います。一方、私の周りには、発達障害児の中でも障害が軽く、限りなく定型発達児に近い場合、「頑張らせれば“普通”になるに違いない」と療育の鬼と化し、ストイックになっている親も実際にいます。しかし、これでは子ども本人がつらすぎますし、場合によっては不登校、うつなどの2次障害を起こしてしまうこともあります。
「子育て世襲」「負の連鎖」を止めること、親を反面教師にすることはかなり難しいです。どうしてかというと、過去にされたことを否定するのは、自分の人生を否定することだからです。今までの自分の人生を否定して子育てをするなんて、難しいですよね。
子どもの虐待事件がたびたびニュースになりますが、虐待した親の成育歴を見ると、親自身も虐待されて育っているケースがあります。これも連鎖です。たたいて育てられた人は子どもをたたきます。できていないところをネチネチと叱られて育った人は、子どものできていない部分を見つける天才になってしまいます。そして、褒められて育った人は子どもを褒めるのが上手です。
「子どものためによかれと思ってやっていること」について、それが本当によいことなのか、一度立ち止まって、見つめ直してみてはどうでしょうか。皆さんは、どうお感じになりますか。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)
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