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【戦国武将に学ぶ】今川義元~信玄・謙信と並ぶ名将が桶狭間で散った理由~

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小和田哲男(おわだ・てつお)

静岡大学名誉教授

1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に「戦国の合戦」「戦国の城」「戦国の群像」(以上、学研新書)「東海の戦国史」「戦国史を歩んだ道」「今川義元」(以上、ミネルヴァ書房)など。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」、NHK・Eテレ「知恵泉」などに出演。NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」の時代考証を担当している。

コメント

1件のコメント

  1. 失礼ながら、小和田先生の見解には、断固として異議を唱えます。
    小和田先生を含め、義元擁護論者の主張している彼の業績なるものは、内政のみならず外交、戦争に至るまで、ほぼすべて軍師とされる太原雪斎の業績です。あり、しかも雪斎は義元自身が登用ないし抜擢したのではなく、義元の父である氏親がその才能を見込んで、義元の補佐役、養育係として付けてあげた人物です。今川義元は、雪斎に代わる人物を置かなかったのではなく、そもそも才能のある人物を自ら登用、抜擢する能力が無かったのです。
    その雪斎に死なれた後の義元は、自分の家臣団をまとめることすら困難になり、織田信長の計略に引っ掛かって大事な家臣を自ら誅殺してしまったり、桶狭間の戦いでも、今川義元は約2万以上とされる自軍はおろか、本陣にいる5000の兵すら有効に活用できておらず、甲陽軍鑑では、遠回しに今川義元の戦いぶりを、戦の素人がやることだと批判されています。
    義元擁護論を唱えるのは結構ですが、以上のような義元にとって不利な事実に目を背けたままで擁護論を唱え続けられるのでは、もはや学者としての見識自体を疑わざるを得ません。